地球の覗き方

地球のことをのぞいてみよう

 午後は友人とともに、ポツダム(Potsdam)へと向かう。
 ポツダムはベルリンの南西25km郊外にある、人口17万人の都市だ。

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【2017.3.16】Sバーン

 西へと向かう、Sバーンに乗車する。
 ポツダム市内までは、Cゾーンに含まれているため、ベルリン首都圏のABCゾーンに適用される乗車券を持っていれば、乗車券を別途に購入することなく乗車できる。

IMG_9843【2017.3.16】Sバーン

 今回は、ポツダム市内まで直接行かず、ベルリン市内最後のBerlin Wannsee駅で下車し、316番バスに乗り換える方法で、向かった。
 Berlin Wannsee駅まではベルリン中心部から15分ほどで到着する。

IMG_9849【2017.3.16】Berlin Wannsee駅前

 15分ほどしか移動していないのにも関わらず、すっかり郊外だ。やはりベルリン首都圏は小さい。
 車内は、小学生たちで賑わっていた。遠足に来たのだろうか、校外学習に来たのだろうか。また車内には、白人しかいない。イギリスの首都ロンドンや、フランスの首都パリと比較すると、ベルリンはさほど、人種的には多様ではない。

IMG_9852【2017.3.16】バス車内にて

 ベルリンとブランデンブルク州の境界となる橋(グリーニッケ橋, Glienicker Brücke)を渡ったところで、降りる。

IMG_9851【2017.3.16】公園

 グリーニッケ橋ではかつての東ドイツ(ポツダム側)と、西ベルリンの境界でもあり、西側諸国と東側諸国の境界となったこの場では米ソ間でスパイを交換するなどされたという。

IMG_9853【2017.3.16】グリーニッケ橋

 友人の友人が描いたというメモを手当てに、歩いていく。

IMG_9858【2017.3.16】公園にて

 ハーフェル川という川に沿って、歩いていく。

IMG_9861【2017.3.16】パン

 川とはいうが、湖沼のたぐいに見える。
 さきほど駅で買った、パンを食べながら歩いていく。

IMG_9867【2017.3.16】クロッカス

 クロッカスの花が、春の始まりを告げている。

IMG_9868【2017.3.16】ハーフェル川

 しかしクロッカスの花が咲いているとはいえ、肌寒い日だった。

IMG_9872【2017.3.16】救世主教会

 対岸に、教会の建物が見える。

IMG_9875【2017.3.16】ハーフェル川

 ベルリンは、沼地に発達した都市だというが、ポツダムもまったそういった沼地に発達したところなのだろう。

IMG_9878【2017.3.16】ハーフェル川

 友人と、たわいのない話をしながら歩いていった。


 ベルリンの街を歩いていると、街中にたくさんのパイプがはりめぐらされていることに気付く。

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【2017.3.15】統一亭

 それらのパイプは、ポツダム広場(Potsdamer Platz)の裏にある統一亭(통일정)の裏に写りこんでいる。

IMG_9564【2017.3.15】ジャンヌダルメンマルクトからチェックポイント・チャーリーへ

 ジャンダルメンマルクト(Gendarmenmarkt)から、チェックポイント・チャーリーへと向かう、ベルリン中心部の道にもあった。

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【2017.3.15】ベルリン中心部にて

 こちらも、ベルリン中心部。

IMG_9786【2017.3.16】イーストサイド・ギャラリー

 そして、イーストサイドギャラリー周辺にもあった。

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【2017.3.16】イーストサイドギャラリー周辺

 色は大体、ピンク色か、青色である。
 さて一体、これは何なのだろう。ベルリンに留学している友人は「以前から気になっていたが、調べてみたことはなかった」というし、ベルリンに住むドイツ人は「外国人にベルリンを案内すると、最もよくたずねられる質問のうちの一つだが、きちんとした解答を持ち合わせていない」とも言う。「ベルリン パイプ」と日本語で検索をしてみても、ひっかかるものはないから、調べてみる必要があった。

・現代アート説
 まさか。

・東西ベルリンの境界節
 東西ベルリンの境界はパイプのルートとは異なる。東西ベルリンの境界は道路上の石畳や、今日まで残された一部のベルリンの壁によって表されている。

・ガス管節
 ふつう、地中に埋められているものだが、ベルリンでは一部が地上に出ている。

 友人が冬に、管のつなぎ目に大きな氷柱が下がっているのを見たことがあるという。そういうことは中に、水でも走っているのだろうか。それとも、蒸気が走っていて、結露が凍って、氷柱となったのだろうか。しかし、どれも、想像の域を脱することができない。

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 英語とドイツ語の文献を探っているうちに、非常に分かりやすい説明を見つけた。
 まずこれは、「ベルリン(Berlin)」という都市名の由来から、接近ができる。ベルリンという地名は、ポーランド語の仲間である、古ポラーブ語(ドイツ語が優勢となり18世紀半ばに消滅する)で「沼」を意味する「berl」という言葉から来ている。その名の通り、ベルリンは沼地に発達した都市であり、地下水が地表のすぐ近くにまで来ている。そのため、建築行為を行うところでは、常に水が浸み出てくるため、恒常的な排水が求められる。そのたくさんの水をパイプによって、運河へと送っているのだという。

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【2017.3.15】パイプ

 つまり、パイプの先には必ず建設現場があるはずなのだ。パイプそのものは恒久的な施設ではないため、建築行為が終われば撤去される。
 ちなみにパイプの色がピンク色だとか、青色であるのはそれが、都市の表情を明るく見せてくれるからだという。確かに、無彩色よりはずっといい。
 つまり、ベルリンにたくさんのパイプが走っているということは、ベルリンが今、まさに発展しているという証拠なのである。新しいビルが建てられなくなればパイプはすがたを消すであろうし、開発がより活発になればパイプの数はきっと増すであろう。


 ベルリンのイーストサイドギャラリーにやってきたのは、アメリカのドナルド・トランプが大統領になってからまだ間もないころだった。

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【2017.3.16】イーストサイドギャラリーにて

 西ヨーロッパではドナルド・トランプの評判はすこぶる悪いそうで、イーストサイドギャラリーにも悪口が書かれていた。

IMG_9815【2017.3.16】イーストサイドギャラリーにて

 壁の、シュプレー川側へと向かう。

IMG_9818【2017.3.16】イーストサイドギャラリーにて

 作業員たちが、ベルリンの壁を白く塗り直していた。

IMG_9824【2017.3.16】イーストサイドギャラリーにて

 かつては厭わしかったベルリンの壁も、東西ドイツ統一から長い時間が経って、「保全の対象」となったのだと思うと、不思議である。

IMG_9825【2017.3.16】イーストサイドギャラリーにて

 しかし白く塗り直すことは、落書きする人たちに、新しい大きなキャンバスを与えるだけに過ぎない。

IMG_9830【2017.3.16】イーストサイドギャラリーにて

 そうした中から、人の目を楽しませる傑作でもでてきたら、とも思う。

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 イーストサイドギャラリーで1時間ほどを過ごした。

IMG_9834【2017.3.16】イーストサイドギャラリー周辺にて

 イーストサイドギャラリーの北西端から12分ほど歩いたところに、S5線、S7線、S75線の乗り入れるベルリン東(Berlin Ostbahnhof)駅がある。
 その名前からすると主要駅であるように感じられるが、駅周辺は閑散としている。

IMG_9836【2017.3.16】ベルリン東駅周辺にて

 1842年に開業し、第二次世界大戦中に大きな被害を受けたが、東西ドイツ分裂時代に再建され、東ドイツにおいて東ベルリン駅とされベルリンにおける長距離列車のターミナル駅の一つになった。1987年には東ベルリンのベルリンの中央駅として整備すべくベルリン中央駅と改称され、開発が進められようとしたが、その後、東西ドイツ統一を迎え、開発は頓挫してしまったという。

IMG_9841【2017.3.16】Sバーン車内にて

 Sバーンに乗って午後は、ベルリン郊外のポツダム(Potsdam)へと向かうことにした。


 ベルリンの壁といってまず思い浮かぶイメージといえば、イーストサイドギャラリーのイメージだと思う。

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【2017.3.16】イーストサイドギャラリーにて

 イーストサイドギャラリーは東西ドイツ統一する1990年に、世界から招かれた芸術家たちによって、旧東ベルリンを向く壁に描かれた105の壁画からなる。

IMG_9791【2017.3.16】イーストサイドギャラリーにて

 それらの壁画は、東西ドイツ分裂時代に描かれたものではないし、ベルリン市民の手ではなく世界中のアーティストによって描かれたため、ベルリンの人々が直接、平和と自由、統一を希求して描いたものではないが、壁画をみていると、当時の人々の思いが汲み取られているように感じられる。

IMG_9793【2017.3.16】シュプレー川

 ベルリンの壁の後ろは、シュプレー川という川になっている。
 ベルリンの壁のイーストサイドギャラリーの区間が撤去されずに残ったのは、この区間が市街地ではなく川沿いに建てられていたからであろう。

IMG_9795【2017.3.16】イーストサイドギャラリー周辺にて

 周辺にはたくさんのパイプが宙をわたされていて、まさにベルリンらしい景観となっていると言えるだろうか。
 (参考 : #1000.ベルリンの街中をはりめぐらされている「パイプ」の謎)

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 いくつかの壁画は、柵によって近づけないようになっている。
 ベルリンは「落書き」の都市だから、壁があれば、すぐに落書きされてしまう。そのため壁画は、2000年、そして2008年から2009年にかけてNPOによる復元作業を経て、当時の状態がなんとか保たれている。
 (ちなみに、この復元作業は、いくつかの壁画の原作者と修復者の間で『著作権』をめぐる問題で大きな衝突が起こったそうだ)

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 この壁画が最も有名だろうか。
 東ドイツの国家評議会議長であったエーリッヒ・ホーネッカと、ソ連最高指導者レオニード・ブレジネフの男性同士の熱いキスを描くことによって、かつての東ドイツとソ連の蜜月関係を皮肉ったのだという。

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 イーストサイドギャラリー周辺は、川辺の公園となっている。

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 壁画の描かれている反対側、すなわち川側の壁も、何かが描かれている。

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 しかしそれらは、どちらかといえば稚拙だ。

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 壁に近づくことができないことはなんだか、惜しい。

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 落書きが都市文化ともいえるベルリンで、こういった壁画(それはもしかしたら「高級な落書き」)を残していくのは難しいのだと思う。

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 壁は1.3kmにもなるから、一つ一つ見ていくと、相当の時間がかかる。

IMG_9810【2017.3.16】イーストサイドギャラリーにて

 日本をテーマとした作品もある。

IMG_9812【2017.3.16】イーストサイドギャラリーにて

 ある作品はまた、少しずつ、落書きに埋もれている。


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