地球の覗き方

地球のことをのぞいてみよう

 チェックポイント・チャーリー周辺を歩く。

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【2017.3.15】チェックポイントチャーリー周辺

 ちょうど、西ベルリンと東ベルリンの境界あたりにある。

IMG_9584【2017.3.15】ベルリン中心部にて

 ベルリンの壁が置かれている。

IMG_9585【2017.3.15】ベルリンの壁

 ベルリンの街歩きは、今いるところがもともと西ベルリンなのか東ベルリンかということを意識しながら歩くと、面白い。

IMG_9587【2017.3.15】ベルリン中心部にて

 北西の方向へと、歩いていく。

IMG_9590【2017.3.15】ベルリン中心部にて

 奥に、ベルリンテレビ塔が見える。
 1969年竣工当時、365mの高さを誇った。ヨーロッパではロシア・モスクワのオスタンキノ・タワー(540m)、ウクライナ・キエフのキエフテレビ塔(385m)、ラトビア・リガのリガラジオ&テレビタワー(369m)に次ぐ、高層建築なのだという。上位陣はどれも旧共産圏であり、このベルリンテレビ塔も東ベルリン時代、つまり旧共産圏のものである。旧共産圏では体制の喧伝という目的から、広く電波を伝えることができるこういった電波塔が、積極的に建てられたようである。

IMG_9591【2017.3.15】ベルリン中心部にて

 運河へとやってくる。

IMG_9598【2017.3.15】ベルリン中心部にて

 コンクリートの護岸に覆われて、無機質な運河だ。

IMG_9602【2017.3.15】ベルリン王宮再建工事

 近くでは、ベルリン王宮(Berliner Stadtschloss)の再建工事がおこなわれている。

IMG_9608【2017.3.15】ベルリン王宮再建工事

 かつてプロイセン王国国王とドイツ帝国皇帝が構えたところで、1918年のドイツ革命後、博物館として利用されていたが、第二次世界大戦中に破壊され、東ドイツ政府によって撤去された建築物である。

IMG_9604【2017.3.15】ベルリン大聖堂とベルリン王宮再建工事

 それを、2013年から再建していて、王宮の外観をした複合文化施設(博物館など)としてオープンする予定だという。

IMG_9610【2017.3.15】ベルリン王宮再建工事

 ベルリンでは中心部でもなお、たくさんの工事が進められている。東西ドイツ統一後、ふたたび首都となってすでに30年近い日々が経とうとしているが、首都としてはまだまだ発展途中であるようだ。


 冷たい風が吹く、一日だった。
 
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【2017.3.15】ベルリンにて

 ジャンダルメンマルクト(Gendarmenmarkt)という名の広場へとやってくる。

IMG_9536【2017.3.15】ジャンダルメンマルクトにて

 ジャンダルメンマルクトは、ベルリン・コンツェルトハウス(Konzerthaus Berlin)、フランス大聖堂(Franzoesischer Dom)、ドイツ大聖堂(Deutscher Dom)の3つの建物に囲まれている。

IMG_9544【2017.3.15】ジャンダルメンマルクトにて

 ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団が拠点を置く。建物は、1821年に建てられたもので、この広場を囲う3つの建物のうち、一番新しいものだという。もともと劇場として建てられたものだが、第二次世界大戦中に空襲を受け、破壊される。戦後、東ドイツにおいて再建される過程において、コンサートホールへと機能を変えられた。

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【2017.3.15】フランス大聖堂

 広場に立つ2対の聖堂のうちのひとつが、フランス大聖堂(あるいはフランスドーム)で、フランスから迫害を逃れてやってきた1701年から1705年の間にユグノー教徒(カルヴァン派)によって建てられたという。

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【2017.3.15】ドイツ大聖堂

 ドイツ大聖堂は1708年に、ドイツのルター派によって建てられたものだという。

IMG_9546【2017.3.15】ジャンダルメンマルクトにて

 これらの聖堂もやはり第二次世界大戦中に廃墟化し、東西ドイツ統一後に復元されたもので、現在は展望施設、レストラン、博物館として利用されている。

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 友人が、しばらく用事があるからというので、2時間ほど一人で街中を歩くことになった。

IMG_9562【2017.3.15】ベルリンにて

 ベルリンの街には、頭上のありとあらゆるところにパイプがはりめぐらされている。

IMG_9564【2017.3.15】パイプ

 一体、何のパイプなのだろうか。あとで友人にきいても分からないと言ったし、それについて述べられている日本語の資料もなかったから、これは後できちんと調べなくてはならなかった。
 ( 参考 : #1000.ベルリンの街中をはりめぐらされている「パイプ」の謎)

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 チェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)へとやってくる。ジャンダルメンマルクトから歩いて、10分ほどの距離だ。
 もともと、東西ベルリンの境界にある検問所の一つだった。

IMG_9569【2017.3.15】チェックポイント・チャーリー

 一度撤去された施設をもう一度、再現したものだという。
 アメリカの管理地域と、ソ連の管理地域との境界にあった検問所だ。写真の中にある顔写真は、かつて勤務していたというアメリカ兵で、東ベルリン側を向いている。

IMG_9574【2017.3.15】チェックポイント・チャーリー

 東ベルリン側から西ベルリン側へと抜けていく。

IMG_9578【2017.3.15】チェックポイント・チャーリー

 西ベルリンの方を向いているのは、これもまたかつて勤務していたというソ連兵の顔写真だ。
 それにしても、かつてはぴりぴりとしていたはずだが、今となっては、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンや、お土産屋さんなどが立ち並び、分断の歴史があったということがにわかに信じられない。

IMG_9576【2017.3.15】横断幕

 チェックポイント・チャーリーというソ連と関りのあるところに建つビルに、ロシアのウクライナに対する行いを糾弾する横断幕が懸かっている。「プーチンは、領土的野望を放棄し、ウクライナを自由にしろ」と言っている。

IMG_9579【2017.3.15】チェックポイント・チャーリーにて

 ここにあるお土産屋で、ベルリンの壁を買った。ベルリンの壁は、小さい欠片で3.5ユーロ(約455円)、大きい欠片で9.9ユーロ(約1290円)ほどで、記念品として買うことができる。西ベルリンをすっぽりと囲んだ壁は、高さ4m、全長155kmもある壁だったから、それ自体が非常に貴重なものだということはないが、とてもベルリンらしいお土産だと思う。東西分断の生の歴史を、持ち帰ることができるのだから。


 ベルリン中心部にある、ホロコースト記念碑へとやってくる。

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【2017.3.15】ホロコースト記念碑

 これは、ホロコーストによって殺害したユダヤ人を追悼するものだという。正式名称として、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(Denkmal für die ermordeten Juden Europas)という名称がつけられている。
 「ヨーロッパ」という文字が入ることによって、それがドイツ内だけではなくヨーロッパ全土に対する責任であることを強調している。

IMG_9517【2017.3.15】ホロコースト記念碑

 1.9ヘクタールの敷地に、2711本のコンクリートの石碑が立っている。

IMG_9523【2017.3.15】ホロコースト記念碑

 遠くから見るだけでも、何か棺のような冷たさを感じさせるものだが、内部に入ってみると、違った種類の恐ろしさがある。

IMG_9520【2017.3.15】ホロコースト記念碑

 外から見るよりも案外深くて、下にまで光が届かない。
 延々と続くコンクリートの中を歩くという体験を通じ、当時、ユダヤ人が置かれた恐怖を、象徴的に表したかった、そういうことなのだろうかと、友人と話し合った。
 これといって設計者による説明板があるわけではないので、その設計の意図は、自らが感じとるしかない。

IMG_9524【2017.3.15】ホロコースト記念碑

 なお、ここには、付属の情報センターがあって、ホロコーストの歴史を知ることができる。

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 入場は、無料である。
 中には、ホロコーストによる犠牲者の氏名が刻まれている、展示もあった。

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 ユダヤ人に対する迫害の歴史は、カイザー・ヴィルヘルム教会でもそうだったが、ドイツの近現代史について語られる場では、必ず、語られる。
 ( 参考 : #0983.カイザー・ヴィルヘルム教会(Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche)訪問記 )
 ベルリン市内を観光していると、ユダヤ人への迫害に関する言及がある展示を、何度も見かけることになることになるだろう。


 ベルリンのポツダム広場(Potsdamer Platz)へとやってくる。第二次世界大戦前は、ベルリンの中心部にあって、ベルリンで最も繁華なところの一つであったというが、第二次世界大戦中に空襲で破壊された上、この広場を分断するように東西ベルリンの境界線が引かれ、壁が建てられてしまっため、東西ドイツが再統一される1990年までは、賑わいかれは遠かったところである。

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【2017.3.15】ポツダム広場にて

 今は、広場の周辺は再開発され、ビジネスセンターとして活気を取り戻している。

IMG_9502【2017.3.15】ポツダム広場にて

 そこには、東西ベルリンの境界、ベルリンの壁がモニュメントとして置かれている。

IMG_9515【2017.3.15】ベルリンの壁

 後ろに見えるビルは、西棟と東塔の一対の高層ビルとなっているが、その意匠は、やはり東西ベルリンの境界であったことを意識していると思う。

IMG_9495【2017.3.15】東西ベルリンの境界

 道路に、石畳によって東西ベルリンの境界が示されている。

IMG_9497【2017.3.15】ベルリンの壁

 その近くに、韓国建築がある。

IMG_9513【2017.3.15】韓国建築

 何か、唐突な印象は否めない。

IMG_9505【2017.3.15】統一亭

 その名は統一亭(통일정)とある。

IMG_9506【2017.3.15】統一亭

 여러분이 계시는 한국 통일정자는 과거 독일의 분단 시절 동서 베를린을 나누던 베를린 장벽이 있던 곳입니다.
 1945년 제2차 대전 직후 동서독으로 분단되었던 독일은 1989년 베를린 장벽을 제거하고 통일을 이루었지만, 한반도는 1945년부터 아직까지 남과 북으로 분단되어 있습니다.
 한국 통일정자는 분단된 한반도의 평화통일과 변영을 염원하는 한국인들의 의지를 통일된 독일 수도 베를린에서 표현하고 있습니다.
 이 정자는 유네스코가 세계 문화유산으로 지정한 대한민국 수도 서울의 궁궐 창덕궁 낙선재에 위치한 상량전을 그대로 재현한 건축물로, 19세기 중엽 한국 전통건축의 아름다움을 보여주고 있습니다.

 みなさんがいらっしゃる韓国統一亭は、過去、ドイツが分断されていた時代、東西ベルリンを隔てていたベルリンの壁があったところです。
 1945年、第二次世界大戦直後、東西ドイツに分断されていたドイツは1989年にベルリンの壁を取り除き、統一を果たしましたが、朝鮮半島は1945年から今まで、南と北に分断されたままです。
 韓国統一亭は分断された朝鮮半島の平和統一を繁栄を念願する、韓国人の意志を、統一を為した首都ベルリンに表したものです。
 この統一亭はユネスコ世界文化遺産に指定された大韓民国の首都ソウルにある昌徳宮(창덕궁)の楽善斎(낙선재)に位置する上凉亭(상량전)をそのまま再現した建築物であり、19世紀中葉の韓国の伝統建築の美を見せています。


 ちなみに友人によれば、ドイツ語には「韓国の伝統建築の美を見せています」といった内容は割愛されていて、韓国語とドイツ語の間で、若干の違いがあるという。

IMG_9507【2017.3.15】統一亭

 ドイツは分断を克服したが、朝鮮半島はまだ、克服できていない。
 第二次世界大戦の後遺症に、世界はまだ、悩まされているのだ。

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【2017.3.15】統一亭

 なおこの統一亭は、東西ドイツ統一25周年、韓国独立70周年を記念して、2015年に建てられたものだ。


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