ルアンパバーンから140km先にあるノンキャウへと向かうミニバンは、僕とギターを持っていたフランス人のカップル、それから、ラオスの人々を乗せていった。

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【2017.12.16】ルアンパバーン北バスターミナルにて

 僕は、車窓を眺めていた。

IMG_7805【2017.12.16】ルアンパバーン北バスターミナル周辺にて

 たくさんの、中国語簡体字が見える。いかにたくさんの中国資本がラオスに流れこんで来ているのかが、よく分かる。
 ルアンパバーン郊外では、鉄道の建設現場が見える。

IMG_7807【2017.12.16】高速鉄道建設現場

 雲南省昆明から伸びてきて、すでに、山を貫通するトンネルなどが完成しつつあるようだ。上海や北京から、雲南省昆明はすでに高速鉄道で連結されているが、それがさらに南へと延伸されるのである。この鉄道が完成すれば、上海や北京と、ルアンパバーンが連結される。さらには、ラオスの首都であるヴィエンチャンが連結される。さらに未来には、ヴィエンチャンからタイ王国の首都バンコクへと高速鉄道は連結され、いつかはさらにマレーシア、シンガポール方面へと連結されていく。途方もなく先の話のように思えるが、すでにルアンパバーンに構造物が出現していることを考えると、もはや「途方もなく先」とも言っていられないかもしれない。
 それにしても工事現場はラオス国内でありながら、中国語(簡体字)ばかりが目立つ。ラオ文字はとても小さく書かれていて、遠くからは目立たない。この工事現場一つだけ見ても、中国が、自国の利益のために触手を伸ばしている、そう思われても仕方がないのではないか。それはあたかも、中国の植民地であるかのように見える。

IMG_7817【2017.12.16】車窓

 ラオスは、中国の隣国である。

IMG_7819【2017.12.16】車窓

 しかし、人口13億8000万人を誇る中国に対し、ラオスは人口700万人にしかならない。人口の格差は200倍近くになる。その事実を前に、対等な関係をどう築くことができようか。

IMG_7815【2017.12.16】車窓

 窓を開けていると、風が冷たく感じられる。ルアンパバーンも気候区分場は熱帯であるが、12月になると落葉する木々もあって、冬といった趣である。

IMG_7820【2017.12.16】車窓

 中国によるインフラ投資は鉄道だけでない。

IMG_7827【2017.12.16】水力発電所建設現場

 「南欧江一級水電站」とあるが、水力発電所とするためにダムを建設している現場である。

IMG_7824【2017.12.16】水力発電所建設現場

 「南欧江」というのは、オウ川(ນ້ຳອູ, ラオス語でナム・ウー)のラオス語の発音を、中国語で表記して、最後に「江」をつけたものだろう。「南」はラオス語で「ナム(ນ້ຳ)」となる部分に当たるから、「南欧江」とすると川を意味する文字がふたつ入ってしまい、二重翻訳になってしまうが、そうなっている。
 建設は、中国電建という企業がおこなっている。撮影はできなかったが、このダムの周辺にはこの地で土木作業に携わる中国人労働者の宿舎と見られる建物があったり、近くの村にはビザの手続きを代行する会社のオフィスなどがあったりして、中国さながらだった。

IMG_7832【2017.12.16】車窓

 ラオスが土地を提供し、中国がそこで経済活動をおこなっている。

IMG_7839【2017.12.16】車窓

 それは、興味深い現場である。

IMG_7845【2017.12.16】車窓

 車内ではフランス人のカップルが、ギターを弾いて見せたりと和やかだった。

IMG_7846【2017.12.16】車窓

 カップルの男はあいさつ程度の日本語ができるそうで、僕に向かって、試したがっていた。

IMG_7848【2017.12.16】車窓

 その流れで英語で、少し、話も交わした。

 僕 : 「どこから来たんですか」
 フランス人男 : 「パリです」
 僕 : 「旅行ですか」
 フランス人男 : 「違う。ここに来るのは、2回目なんだ。今回は特に、予定を立てないで移動している。期限はない。だから、旅行ではなくて生活というべきだ」

 旅行ではなく、生活というべきだ、か。何をかっこつけたことを言っている。会話にいちいち、独自の人生哲学のようなものを挟んでくる人だったから、めんどうくさくて、会話をやめた。

IMG_7855【2017.12.16】車窓

 途中の村で人を乗せたり、下ろしたり、積んだ荷物を届けたりといったことが繰り返され、なかなかノンキャウに到着しない。

IMG_7857【2017.12.16】車窓

 日が暮れてしまう。

IMG_7858【2017.12.16】車窓

 ルアンパバーンから110kmほど離れた、パック・モング(Pak Mong)という村だったが、こういった村にまで中国の人々が進出しているのだから、ラオス北部における中国の存在感は隅々にまで渡っていると言えよう。そういう状況に対し、ラオスの人々は何を考えているのだろうか。

IMG_7859【2017.12.16】車窓

 食堂の中国語名が「餐廳不滿」となっている。何か、不満でもあるのだろうか(笑)
 結局ノンキャウには、ルアンパバーンを出発してから、4時間と少しほどで到着したのだった。