地球の覗き方

地球のことをのぞいてみよう

2015年10月

 ソウル・鍾路区付岩洞(부암동, プアムドン)へ、秋を満喫しにいった。

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【2015.10.26】付岩洞(부암동, プアムドン)

 光化門(광화문)から路線バスで15分さえバスに乗れば、このような風景に出会うことができる。都心からたったの15分。直線距離でいえば、3kmにも満たない。ソウルは人口が1000万人を超える、メガロポリスではあるが、東京のように市街地が延々と連なっている、という感じでもない。関東平野という平野地帯、山のある盆地にという地形的条件の違いからだろうか。東京では500m級の山、例えば高尾山に行くのにも、新宿から京王線の特急電車を1時間、乗らなくてはならい。しかし、ソウルではどうだろうか。地下鉄の駅を降りると、そこが登山口だったりする。ソウルの地下鉄に通勤客に紛れて、登山客が多数、乗車しているのも、ありふれた風景だ。

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【2015.10.26】付岩洞(부암동, プアムドン)

 付岩洞が、都心から3kmという距離にも関わらずまったく開発の手が及んでいないのは、山麓という地形的な条件や、地下鉄が通っていない、バスでしかアクセスのできないところ、といった条件もあるが、大統領官邸である青瓦台のすぐ裏手にあり、周辺が軍事保護区域に指定されており、開発制限がかかっているということが大きな理由といえそうだ。

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【2015.10.26】付岩洞(부암동, プアムドン)

 もともとは軍事保護地域ではなく、大統領官邸の近くにありながら、市民の立ち入りも自由な地域であった。しかしながら、朴正煕政権下の1968年に北朝鮮の兵士31人が韓国軍の監視の隙をつき、大統領の暗殺を目的として、青瓦台の800m手前まで侵入するという事件(青瓦台襲撃未遂事件)が発生してしまった。このことがきっかけとなり、一帯が軍事保護地域に指定されることになった。

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【2015.10.26】付岩洞(부암동, プアムドン)

 ソウル城郭には、監視哨所があり、周囲を常に監視している。つまり、監視の妨げになるような大きな建物はこの地域には建てられない。だから、開発制限がかかっている。その結果、都心に近いにもかかわらず、このような「奥座敷」のようなところが残ってしまったのである。皮肉にも、ソウルという都市の魅力を高めてしまったといえよう。

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【2015.10.26】付岩洞(부암동, プアムドン)

 ソウル市民の憩いの場となっており、散策路や登山路が整備されている。ギャラリーや雰囲気のよいカフェなどもある。なお、散策路や登山路の一部は軍事保護地域内に入るため、立ち入りについて申請書の記入と身分証明書の提示が求められる場合がある。さきほどの、監視哨所のある城郭沿いの道がまさに軍事保護区域内にあるのだが、景色はいいものの写真撮影などが禁じられている箇所もあるから注意が必要だろう。

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【2015.10.26】秋の向日葵

 秋のひまわりが咲いていた。ミツバチが蜜を集めにやってきていた。しかし、あと1週間もすれば11月。気温が急激に落ち、朝の気温は氷点下となる。もう、いつまでも咲いてはいられないだろう。ひまわりもミツバチも必死のはずだ。

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【2015.10.26】紅葉

 2015年の樹々の色づきはやや遅く、まだ紅葉の始まっていない木々もみられたものの、やはり美しかった。その自然景が秀麗であるからか、付岩洞には、朝鮮時代に王室の別荘なども置かれていた。今は、遺構が残されているだけではあるが・・・。

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【2015.10.26】紅葉

 燃え上がる秋。韓国留学時代、このような景色は僕に、秋という季節よさを気づかせてくれた。

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【2015.10.26】紅葉

 春夏秋冬、どの季節も素晴らしいけれども、いつの季節のソウルを一番オススメしたいかという質問をされたら、やはり秋、それも紅葉の季節をオススメしたい。ちょうど10月下旬から11月上旬にかけてだ。

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【2015.10.26】付岩洞

 なお、付岩洞は寺町でもある。開発の手が及ばなかったために、このように残されてきたのである。韓国のお寺も日本のお寺と同様、境内には自由に出入りができる。

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【2015.10.26】付岩洞

 韓国らしい景色を楽しめるものの、外国人観光客があまり見られないのは、やはり交通が不便だからであろう。地下鉄から徒歩で行くことのできるところにはたくさんの外国人観光客がいるのに、バスではないと行けない場所となると、全くみあたらなくなる。
 ソウルの都心の近傍にありながら、くつろげるのはいい。

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【2015.10.26】秋の樹々

■付岩洞への行き方
地下鉄3号線・景福宮駅、地下鉄5号線・光化門駅などからバス


 韓国の二大中華料理といえば、「チャジャン麺(짜장면)」と「チャンポン(짬뽕)」である。「チャジャン麺(짜장면)」は「ジャージャー麺」とから来ていて、「チャンポン(짬뽕)」とは、そう、日本のあの長崎「ちゃんぽん」をから来ている。あの野菜たっぷりのちゃんぽんは、韓国にも伝来していたのである。しかし、日本のちゃんぽんと韓国のちゃんぽんと、ひとつ決定的に違う点がある。それは、色だ。

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【2013.12.5】韓国の「ちゃんぽん」

 真っ赤なのだ。さすが、韓国といったところか。非常にメジャーな料理なので、ちゃんぽんを提供するお店を探すのは至極、簡単だ。もちろん、日本で日本式のちゃんぽんを探すことよりも簡単なのである。チェーン店では「香港飯店0410(홍콩반점 0410)」が有名で、量たっぷり野菜たっぷりのちゃんぽんが一杯4500ウォン(約500円)から注文できるのがいい。焼き餃子(군만두)とのセットで頼んでもたったの6500ウォンだから、財布にやさしい。韓国におけるひとり暮らしの味方である!なお、「香港飯店」を名乗っているものの、香港にこんなアグレッシブな真っ赤な料理はないだろう。
 ちゃんぽんはもともと、日本の長崎の華僑によって開発されたものだという。福建省福州出身の陳平順という人物によってつくられた「支那饂飩」というメニューが、「ちゃんぽん」へと名前を変え、長崎でもっとも親しまれる大衆料理となったのである。「ちゃんぽん」という名前の由来は定かではなはなく諸説あるのだが、個人的に気に入っているのは、「ちゃん」が「China」の「chin」の変形であり、「ぽん」が「Japan」の「pan」の変形である、という説である。いわば「日中合作」なのだ。韓国においては、このメニューが長崎から、朝鮮半島へと伝来し、定着したものとされる。
 なお、興味深いのは「チャンポン(짬뽕)」という言葉が、韓国においても「異なる2種類のものをかき混ぜる。」という意味で使われるという事実である。「昨日、ビールと焼酎をチャンポンして飲んだから、胃がムカムカするし、頭も痛い。(어제 맥주하고 소주하고 짬뽕을 해서 먹었더니만 속이 울렁거리고 머리도 아파.)」といった具合である。俗語が共有されているあたり、日本と韓国はほんとうに「近い国」なのである。

 さて、この頃はずいぶんファッショナブルなチャンポンが増えてきている。健康志向の高まりや、辛いものを食べられない若者が増加している時代の状況を反映したものなのだろうか。

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【2015.10.25】白ポン

 これは、ファッショナブルちゃんぽん(?)専門店のポンシン(뽕신)の白ポンである。なお、白ポン以外にも、いくつかメニューがあるので試されたい。ピリ辛のクリームソースソースを用いたちゃんぽんなのである。しかしこれでは、スパゲッティとあまり区別がつかない・・というのが食後の感想だ。中国、そして日本と韓国、そこにイタリアが融合した、シロモノである。
 それはともかく、とにかく僕が紹介したかったことは、「ちゃんぽん」という食べ物は朝鮮半島にも渡っており、現在に至るまで、独自の進化を続けているということなのである!

■香港飯店0410(홍콩반점)
韓国全土に店舗あり 

■ポンシン(뽕신)
ソウル首都圏を中心に32店舗あり


 横浜・みなとみらい地区。「みなとみらい」とは、なかなか気の利いた命名だと思う。その韻や語感はもちろんのこと、地区が目指そうとしている方向性が感じられるのがいい。この港の町・横浜から、新しい時代の人間の営みの在り方を提案してやろうという意気込みが感じられる。
 「みなとみらい」は横浜駅に近接する、三菱造船移転跡地の再開発にあたり1981年につけられた地区名称である。決選投票では、「赤い靴シティ」という案もあったそうだが、「赤い靴シティ」に決定しなくてよかったと思う。

 もし、「赤い靴シティ」に決定していたらどうだろう?今ほど、多くの人を引き寄せていただろうか。

「みなとみらいに、海、見に行こうぜ!」
「赤い靴シティに、海、見に行こうぜ!」

 前者はなんだか眼前に海がぱーっと開けている気がする。しかし、後者の場合、僕には、眼前にぱっーと広がっている情景が想像できない。「みなとみらい」だからこそ、海を見に行きたいような気がする。だから、人が引き寄せられる。みなが同じように感じるかは分からないけれども、こういうことを考えるたびに「命名」というものは都市の発展や地域の発展の方向性を、その語感から運命づけていると思う。
 地名とは都市開発において、ある種のスローガンとなる。明治時代に「江戸」が「東京」へと改称されることがなかったら、都市の発展性の方向はまったく変わっていたと思う。そこが新しい首都であるのだという意気込みがある。非常にスローガン性の高い地名だ。
 ところで、スローガン性がやや低いと思わる地名についてはどうなのだろう。つまり、今ある「渋谷」という地区の地名がもしも、「池袋」であったならば、その地域は今の「渋谷」と同等の地域になり得たのだろうか。こればかりは、証明のしようがない。

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【2015.7.19】みなとみらい

 ところで、「みなとみらい」が目指していた「みらい」とは何だったのだろうか。「みなとみらい」という地名をスローガンとして発展してきた地域なのだから、その景観には人々が漠然と考えている、または考えていた「未来像」が投影されているはずなのである。

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【2015.7.19】みなとみらい

 広大な敷地に乱立する巨大なビル、個人では到底まかないきれない大きな資本が投下されることがなければ実現されることのない都市の景観。ものの変化が一般の人の手に委ねられておらず、見ることのできない、得体の知れない大きな力によってしか為されない社会。個人というものが無力化し、得体の知れない大きな力の制御を甘受せざるを得ない、そのような社会。そういうことなのだろうか。こう書いてしまうと、なんだか悲壮感がただよう。
 しかしながら実際のところ、僕は「みなとみらい」に行っても、そういう暗澹な気持ちにはならない。むしろ「愉快で明るくて、夢がある」とすら感じてしまう。これは、いったい、何なのだろうか。もしかしたら、個人というもの無力化されてしまうということは、個人がものの変化に対して責任を感じなくても、あるいは持たなくてもよくなった、ということなのかもしれない。だから、こうも能天気な浪費家になれて、愉快な気分がするのかもしれない。いいことなのやら、悪いことなのやら。



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