2016年2月に春秋航空日本が成田・武漢線に就航、また2016年4月からANAが成田・武漢線に就航するなど、今後、日本で存在感を高めていくであろう中国内陸部の大都市、武漢であるが、市内にどのような観光地があるのかと言われると、いまいちパッとしない。長江とその最大の支流、漢水が合流する、舟運上の拠点で、古くからの歴史を有しているのにも関わらずだ。
武漢は、長江と漢水の位置関係から、武昌(長江の東側)、漢口(長江の西側、漢水の北側)、漢陽(長江の西側、漢水の南側)という三つの地区に分けられる。もともと、異なる都市で武漢三鎮と呼ばれていたそうだが、1926年に合併しひとつの都市となった。各地区の観光地は大体、以下のものが有名だ。
■武昌
・湖北省博物館
・黄鶴楼(#0145.黄鶴楼から武漢の街を見下ろす)
・武漢東湖
・武漢長江大橋
・戸部巷
・楚河漢街
・武漢大学
・宝通禅寺(#0143.武漢「宝通寺」 - 体をよじらせつつ古塔をのぼる)
■漢口
・漢口古德寺(ビルマ式寺院)
・漢口租界
■漢陽
・帰元禅寺
・晴川閣
グルメは、
・熱乾麺(#0142.武漢「蔡林記」で熱乾麺を食す!)
・武昌魚(#0146.武漢「大中華酒楼」で毛沢東が絶賛したという武昌魚を食す)
・洪山菜薹(#0146.武漢「大中華酒楼」で毛沢東が絶賛したという武昌魚を食す)
などが有名のようである。
武漢の「漢陽」地区から、長江を渡って「武昌」地区へと歩いていく。亀山という小高い山があり、その上には電波塔がある。
【2016.2.14】長江へ
武漢長江大橋へとさしかかる。長江が見える。世界第三位、アジア最長の河川で、6300kmにも渡り、流域には4億5千万にもの人口が住んでいる大河川である。このスケールは日本にはない。たくさんの舟運が行き交っていて、さながら、海のようである。世界の大都市といえばたいてい、沿岸部にあるが、中国には内陸部にも大都市が多い。それは、長江があって、古くから内陸部においても貿易が可能だったからだ。
【2016.2.14】長江を渡る
日本人が「川」という言葉からイメージするものとは全く違う。そのとんでもない川幅も、黄土色の水の色も…。よく考えると、「長江」はそもそも「川」とはいえない。その名前からも自らが「江」であることを主張している。つまり、日本にはない概念なんだろう。
武漢長江大橋は1957年に開通し、全長1670m、地上からの高さは80mにもなる、大建築である。
【2016.2.14】武漢長江大橋
この大きな橋を、多くの観光客が歩いて渡っていた。
【2016.2.14】黄鶴楼
長江の向こう側には、 黄鶴楼がみえる。李白が、揚州へと旅立っていく友人を見送る詩を詠んだことで有名な黄鶴楼である。
武漢は、長江と漢水の位置関係から、武昌(長江の東側)、漢口(長江の西側、漢水の北側)、漢陽(長江の西側、漢水の南側)という三つの地区に分けられる。もともと、異なる都市で武漢三鎮と呼ばれていたそうだが、1926年に合併しひとつの都市となった。各地区の観光地は大体、以下のものが有名だ。
■武昌
・湖北省博物館
・黄鶴楼(#0145.黄鶴楼から武漢の街を見下ろす)
・武漢東湖
・武漢長江大橋
・戸部巷
・楚河漢街
・武漢大学
・宝通禅寺(#0143.武漢「宝通寺」 - 体をよじらせつつ古塔をのぼる)
■漢口
・漢口古德寺(ビルマ式寺院)
・漢口租界
■漢陽
・帰元禅寺
・晴川閣
グルメは、
・熱乾麺(#0142.武漢「蔡林記」で熱乾麺を食す!)
・武昌魚(#0146.武漢「大中華酒楼」で毛沢東が絶賛したという武昌魚を食す)
・洪山菜薹(#0146.武漢「大中華酒楼」で毛沢東が絶賛したという武昌魚を食す)
などが有名のようである。
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【2016.2.14】長江へ
武漢長江大橋へとさしかかる。長江が見える。世界第三位、アジア最長の河川で、6300kmにも渡り、流域には4億5千万にもの人口が住んでいる大河川である。このスケールは日本にはない。たくさんの舟運が行き交っていて、さながら、海のようである。世界の大都市といえばたいてい、沿岸部にあるが、中国には内陸部にも大都市が多い。それは、長江があって、古くから内陸部においても貿易が可能だったからだ。
【2016.2.14】長江を渡る
日本人が「川」という言葉からイメージするものとは全く違う。そのとんでもない川幅も、黄土色の水の色も…。よく考えると、「長江」はそもそも「川」とはいえない。その名前からも自らが「江」であることを主張している。つまり、日本にはない概念なんだろう。
武漢長江大橋は1957年に開通し、全長1670m、地上からの高さは80mにもなる、大建築である。
【2016.2.14】武漢長江大橋
この大きな橋を、多くの観光客が歩いて渡っていた。
【2016.2.14】黄鶴楼
長江の向こう側には、 黄鶴楼がみえる。李白が、揚州へと旅立っていく友人を見送る詩を詠んだことで有名な黄鶴楼である。