地球の覗き方

地球のことをのぞいてみよう

2016年03月

■これまで
#0222.上海の古鎮めぐり - 七宝古鎮 1

 七宝古鎮の奥の方を散策する。

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【2016.3.7】七宝古鎮にて

 左手前に見える、銀杏の木があるところは、南七宝寺という小さなお寺だ。
 ボンネットの上で野菜を干すようすが見える。

IMG_5328【2016.3.7】七宝古鎮にて

 よくみたら車の屋根では靴を干している。なぜ車の上なんだろう。地べたで干すよりは多少、清潔だからかな。
 古鎮の商業化したゾーンと比較すると、生活の臭いが一気に濃くなってくる。

IMG_5330【2016.3.7】七宝古鎮にて

 路地へと迷いこんでみる。

IMG_5332【2016.3.7】七宝古鎮にて

 抜け出る。

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【2016.3.7】七宝古鎮にて

 カトリック教会(天主堂)を見つける。

IMG_5334【2016.3.7】七宝天主堂

 七宝天主堂はもともと1866年に建てられたが、元の建物は国共内戦により攻撃を受けて崩れたため、1982年に再建したものだという。
 中国の伝統的な街並みの中にカトリック教会があると考えれば異質のように思われるが、その色彩などは周囲とうまく調和していて、異質さは感じられない。異質のように思われながらも、異質ではないという不思議さがある。観光客として中を見学することもできる。

IMG_5339【2016.3.7】七宝古鎮にて

 この街の一番高いところにあるものは、カトリック教会の十字架である。古鎮で庶民の生活を感じられるという点では、とても面白い。
 最後に、ドリアンケーキなるものを売っていたのでひとつ買って食べてみた。

IMG_5347【2016.3.7】七宝古鎮にて

 お金を出そうと財布を開いたとき日本円のお札がみえて、おじさんが「そのお金、どこのお金か」と尋ねてくる。日本円だよといって見せてあげたら、不思議がっていた。

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 中に生クリームがたっぷり入っていて、思ったよりもおいしかった。

IMG_5350【2016.3.7】七宝古鎮にて

 それにしても上海の都心の駅から地下鉄で6駅という立地に、このような街があるとは思わなかった。

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 上海というのは日本で一般的に語られるイメージほどの「経済都市」や「大都会」とは異なるように思う。

IMG_5354【2016.3.7】七宝古鎮にて

 また、木桶屋さんなどがいくつか見られた。大小さまざまの木桶があって、中には浴槽として使えそうなものまでもある。七宝の名産品だというが、木桶を日本に持って帰るわけにもいかないと思って、ただ見ておくだけにした。

■七宝古鎮
 地下鉄「七宝」駅から徒歩10分
 開放時間:午前8時半~午後9時



 上海のベッドタウンにある古鎮(古い街並み)、七宝古鎮へ行く。地下鉄9号線「七宝」駅が最寄りなのだが、徐家匯から地下鉄でたったの6駅である。駅から10分ほど歩く。

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【2016.3.7】七宝の街並み

 周辺の住宅団地は古鎮の存在を意識してか、中国・江南地方の雰囲気のある建物となっている。
 古鎮の入口かみえた。

IMG_5304【2016.3.7】入口

 たくさんの観光客で溢れお店もたくさんあるので、さながら繁華街のようだ。南翔古鎮(#0217.上海の古鎮めぐり - 南翔古鎮)もそうだったが、水郷の麗らかな春を思う存分楽しめないのはいささか残念だ。

IMG_5306【2016.3.7】七宝古鎮にて

 古鎮の中心には、水路がある。

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【2016.3.7】七宝古鎮にて

 かつては人の移動も物流も水運を利用していたから、水路の周辺に自然と街が栄えた。

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 それぞれの建物は水路に向かって階段が出ていて、そこから舟に乗れるようになっている。

IMG_5310【2016.3.7】七宝古鎮にて

 しかし今は物流も人の移動もすべて、自動車、つまり陸上に移ってしまった。だから現在は水路の周りに街を築く必然性がない。むしろ水路があれば臭いもするし洪水の懸念などもあるから、どちらかといえば避けられがちですらある。

IMG_5315【2016.3.7】七宝古鎮にて

 水路を利用するものとしては観光船などがありはするが、それでも水路を利用した暮らしというものが存在していない現在において、こういった街並みを昔のまま残していくのは難しい。商業化して、お金を稼ぐ道具にでもしない限り、残せないのではないかとも思う。

IMG_5316【2016.3.7】七宝古鎮にて

 七宝古鎮は1000年以上の歴史があるという。付近にある七宝教寺という名称は、宋代の1008年~1015年には存在していたという。
 奥に入り込むと、生活感のある建物が並ぶ。

IMG_5317【2016.3.7】七宝古鎮にて

 商業化された地域の小奇麗に整備された建築群もよいが、かつてのすがたを想像するなら、こちらの方が想像しやすいと思う。

IMG_5318【2016.3.7】七宝古鎮にて

 横断幕には、「無許可の違法建築は排除しましょう。例外は認めません」と書いてある。
 こういった古い街並みというのは現在ある法律の手続きを踏んで建てられたものではないから、既存不適格建築物も多い。そういった地域にこういった横断幕がかかっているというのは、何を意味しているのか。
 再開発されて、住宅団地へ姿を変える日は、そう遠くない未来なのかもしれない。

IMG_5319【2016.3.7】七宝古鎮にて

 それともうひとつ横断幕がかかっていたが、布団が上から干されていて、内容がはっきりとは分からない。
 上海市民にとってこういった横断幕の内容やプロパガンダの類はさほど重要ではないらしい。それよりも自分たちの生活が重要なのである。 そういう人間臭さは好ましいものだと思う。

■つづき 
#0223.上海の古鎮めぐり - 七宝古鎮 2



 田子坊は南は泰康路、北は建国西路、東は思南路、西は瑞金二路に囲まれるエリアで、もともとはフランス租界だった時代に作られた「里弄」と呼ばれる住宅団地の街区に、おしゃれなお店やレストラン、カフェ、バー、アトリエなどが集まってできた上海のリノベーションスポットだ。

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【2016.3.7】田子坊の模型

 模型をみると住宅が平行に配置されているだけの単純な街区のようにみえるが、中に足を踏み入れると、あたかも迷路に迷い込んだかのように感じられる。

IMG_5261【2016.3.7】田子坊にて

 もともと1999年にある芸術家がここにアトリエを開いてから、他の芸術家も集まるようになり、そこで活動する人やそこを訪れる人をターゲットとしたカフェやレストランなどが増えていくうちに、地区がリノベーションされていったという。
 街区では下の写真のように建物の下を路地が通るなどしていて、立体的に複雑な構造をしている。

IMG_5264【2016.3.7】田子坊にて

 田子坊は観光客で賑わい、お土産屋さんなども多い。あるお店でお兄さんから手品を披露されて楽しんでいたら、セールスまでされて、結局、手品の道具を買うことになってしまった。20元(約350円)で高価なものではないから、手品を楽しんだことだし、悪くはないかなとは思ったけれども、まったく商売が上手なものである。東京に戻ってから、家族や友人にさんざん披露して驚かすことができたから、思ったよりもよい買い物ではあったんだけれども(笑)

IMG_5268【2016.3.7】田子坊にて

 洗濯物が干されているのをみると、まだ2階部分には人が住んでいるのが分かる。自転車の駐車スペースなどもあって、生活空間だから騒がないようにとの立札もある。

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【2016.3.7】田子坊にて

 外国人がオーナーのお店などもある。
 田子坊では自由を謳歌しているような、そんな雰囲気を楽しめる。こういったところで芸術制作をしたり、カフェを開いて上海人、そして世界中のいろいろなところからやってきた人々と話を交わしたりするのは楽しいだろうな。

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【2016.3.7】田子坊にて

 上海が租界時代に発達させた「里弄」という住宅街区がどのような構造をしているのかということを田子坊では知ることができるが、このように商業化され中を自由に歩き回ることのできる「里弄」は少ないため、とても貴重な存在だと思う。

IMG_5290【2016.3.7】田子坊にて

 ソフトクリームをひとつ食べる。

IMG_5296【2016.3.7】田子坊を外から眺める

 「里弄」は道路に面する四面を塀の役割をも兼ねた建物で囲ってしまう。そのため部外者をよせつけない、閉鎖的な雰囲気がある。これが商業化されていない他の「里弄」の中を、自由に歩き回るのがはばかれる理由である。このような防御的な構造の街区からは、辛亥革命、国共内戦、日中戦争などを経て情勢が安定することのなかった中国において、いかにして貿易により蓄積した富を守ろうとしたかという気迫を感じとることができると思う。建築物は「社会の雰囲気を物理的に表出するものだ」という事実を、分かりやすく伝えてくれる。

■田子坊
 地下鉄9号線「打浦橋」駅から徒歩すぐ



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