地球の覗き方

地球のことをのぞいてみよう

2016年08月

 11月下旬だったが、銀杏の葉はまだ完全には散っていなかった。

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【2014.11.22】銀杏

 当時、僕が住んでいたソウルは11月下旬にもなると銀杏の葉は完全に散って枯木になっていた。大連はソウルよりも北側にあるにも関わらず、どうやら冷え込みが弱いようだ。都市が、海辺にあるかもしれない。

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 お腹が空いていたから、昼食とすることにした。さきほど、空港のケンタッキー・フライド・チキンに入店しはしたのだが、セットメニューの価格が800円、900円ほどとやたらと高いので、小豆の飲料しか注文しなかったのだった。
 中国東北地方といえば餃子が有名だ。餃子のお店の前に置かれていたメニューを見ていると、中から若い男性の店員が出てきて、中国語で何かを言う。状況からして、「空席有りますよ。お二階にどうぞ」といった感じだったので、ついて、上がっていった。2階に上がるとまた、他の若い男性の店員が出てきて、中国語で何かを言うのだが、聞き取れず「中国語できません」と言ったところ、店員は「没問題(だいじょうぶ)」と繰り返しながら席へと案内する。座って、中国後のメニューを開いて悩んでいると、今度は女性の店員が出てきて、スマートフォンの翻訳アプリを利用しながら、中国語のメニューの名前を英語に変換して教えてくれる。翻訳アプリの翻訳語自体はあまり正確ではなさそうだったが、誠意は伝わった。一人の外国人のお客さんのためにここまで親切にしてくれるとは思わなかった。
 まだ初めての中国であり、簡体字に慣れてはいなかったが、それでもメニューが全く読めないというわけではなかった。 日本も中国も、漢字文化圏に属するのだから。

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 杏仁露(杏仁ミルク)と、豬肉白菜、つまり豚肉と白菜の水餃子を注文した。一人前が19元(約290円)である。杏仁ミルクとあわせて、24元(約370円)である。中国の物価も、それなりにする。

IMG_8648【2014.11.22】水餃子

 これが記念すべき、25年間の人生で初めて、中国大陸で食べる食事となった。
 味は平凡だった。それまでの知識では、中国の餃子は主に皮を食べるもので中の具材はかなり控えめにしか入っていないと聞いたのだが、これは中の具材もたっぷり入っていてなかなか食べごたえがあった。
 それにしても、初めてやってきた国なのにここまでトラブルがひとつもない。餃竇世(饺窦世)という名前のお店だったが、たまたま目について入っただけのお店の店員たちも親切で、とても満足である。

2014年11月 大連3泊4日
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 大連は、中心部の人口だけでも400万人に迫る大都市であるが、都市としての歴史はさほど長くはなく、始まりは1880年に清朝がこの地に砲台を建設したことである。日清戦争後、下関条約によって大連を含む遼東半島は日本に割譲されることとなったが、三国干渉によって清朝に返還することをやむなくされる。それから、ロシアの租借地とされるが、日露戦争後の1905年に、租借権がロシアから日本へと渡り、1945年の敗戦時まで日本の植民地となった。
 ロシアは東洋のパリというスローガンのもとに都市計画をおこなった。1905年以降、日本による統治時代にもこの都市計画はそのまま維持され、都市基盤が整備されるとともに、日本人などの建築家の設計によって数多くの近代建築が建設された。その都市計画は、たくさんの広場とそれらを結ぶ道路網が特徴的なものであったが、中山広場はそれらの広場のうち代表的なもので、直径213mの規模で、この広場からは10本の道路が放射状に伸びる。

■旧・大連民政署
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【2014.11.22】旧・大連民政署

 1908年、日本統治下で最初に建てられた近代建築である。大連民政署として建てられ、1922年からは大連警察署として利用され、現在は遼陽銀行大連支店として利用されている。ドイツ建築を見本としている。

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 広場は平和そのものだった。

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【2014.11.22】中山広場にて

 空を、鳩が飛ぶ。

IMG_8610【2014.11.22】中山広場にて

 誰かが言っていた「中国人は鳩を食用とするため、中国の都市には鳩がいない」という噂は、どうやら嘘だったようだ。

IMG_8626【2014.11.22】中山広場にて

 白い鳩が多いからか、余計、平和な印象を受ける。

IMG_8630【2014.11.22】中山広場にて

 おじさんから鳩の餌を買って、鳩にあげている中国の人たち。中には、鳩を手にのせている親子もいる。中国は極めて平和なところだった。日本であれ、中国であれ、人間の住むところなのだ。それを実感できただけで、今回の「初めての中国旅行」の目的は達成されてしまったような気がする。

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■旧・横浜正金銀行大連支店
IMG_8653【2014.11.22】旧・横浜正金銀行大連支店

1909年、日本統治下で2番目に建てられた近代建築である。横浜正金銀行大連支店として建てられたが、現在は中国銀行大連支店として利用されている。横浜正金銀行は当時、外国為替を専門とする世界3大銀行のひとつであったが、戦後に解体されてしまう。

■旧・大連市役所
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【2014.11.22】旧・大連市役所

 1919年に大連市役所として建てられた。現在は、中国光大銀行などが入居する建物となっている。旧・大連民政署や旧・横浜正金銀行大連支店にはその意匠に日本的な要素は見られなかったが、この建物には日本的な要素がちりばめられている。例えば、中央の塔は祇園祭の山車をイメージしていている。上の写真には見られないが、建物の入口は唐破風をデザインしたものとなっている。日本による植民地経営が、単に西欧の方式をならうものだけだったものが、1910年代後半になると日本独自の方式が模索され、実験されていくようになった。

■旧・朝鮮銀行大連支店
IMG_8632【2014.11.22】旧・朝鮮銀行大連支店

 1920年に朝鮮銀行大連支店として建てられた。現在は、中国工商銀行中山広場支店として利用されている。

■旧・ヤマトホテル
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【2014.11.24】旧・ヤマトホテル

 南満州鉄道によって、1914年に竣工した。今は、大連賓館として利用されている。大連は、日本と満州の接続点であり、旅客移動の拠点であった。用途は今も昔もホテルで変わらない。内装やインテリアも当時のものをそのまま引き継いでいるそうだ。宿泊も可能である。

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 中山広場は交通量の多い、円型の道路の中央に位置するが、信号が一つもないため、車に気を付けて一車線ずつ渡っていかなくてはならなかった。(しかし、のちの2015年に大連地下鉄の中山広場駅が開業し、地下道を通って入ることができるようになった) 

IMG_8633【2014.11.22】中山広場

 これらの近代建築物は中国政府により文化遺産に指定され、保全されている。カップルがウェディングドレスに身を包んで、近代建築を背景に写真撮影を行うなどもしていた。これらは、中国国内における、日本による植民地支配の痕跡ではあるが、だからといって忌み嫌っているようなようすもなく、100年を超えた年月、丁寧に使っていることについてはやや意外でもあった。

2014年11月 大連3泊4日
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 大連周水子空港に到着する。上空からみえる、巨大なアパート団地群、PM2.5でくすんだ空、怒っているようにしゃべる空港職員(しかし、実際は怒っているわけではなく、親切に入国ゲートを案内をしてくれているだけである)。
 入国後、お腹が空いていたので、空港のケンタッキー・フライド・チキン(KFC)に入る。とても清潔だった。ゴミはひとつも落ちていないし、食卓が油でべたついているということもない。店員は英語ができず、たどたどしい中国語で注文しなくてはならなかったが、耳を傾けてきちんと聞いてくれて、印象がよい。日本や韓国の報道では、中国の不衛生さが強調されることが少なからずあるが、少なくとも空港のケンタッキー・フライド・チキンに関してはそれは当てはまらない。ところでのちに友人に聞いてみたところ、中国・東北部の外国語教育は日本語、ロシア語、英語などさまざまであるため、英語教育に一度も接することなく大人になった人も少なくないというから、旅行者もできるだけ中国語を話そうとする努力が求められるであろう。

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【2014.11.22】マンホール

 マンホールが不思議な位置についているのをみて、なんだか中国にやってきたということを実感する。

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【2014.11.22】大連空港にて

 さて、空港から市内へと向かう。3つの行き方が考えられる。

①地下鉄を利用する
 空港の地下には大連地下鉄2号線の空港駅がある。地下鉄は、6時25分から21時35分まで、約10分間隔で発着する。地下鉄は、西安路、人民広場、青泥窪橋(勝利広場)、友好広場(大連駅最寄駅)、中山広場といったエリアに乗り換え無しで移動することができる。料金は2~5元(約30円~77円)。

②空港バスを利用する
 中山広場(人民路)行きの空港バスが、国内線の到着ロビーを出たタクシー乗り場から出発する。満員になり次第出発する。料金は10元(約153円)。青泥窪橋(勝利広場)、友好広場(大連駅最寄駅)に途中下車する。

③路線バスを利用する
 空港を出て南方向に約600m~700mほど南側に歩いた、虹港路にある「機場」バス停を利用する。9路、46路、532路、701路、710路などが停車する。料金は1元~2元。

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【2014.11.22】虹港路

 地下鉄は2015年に開通したもので、訪問当時、まだ開通していなかった。そのため、空港バスを利用することにした。
 太っちょのおじさんがどこまで行くのかと中国語で尋ねてきた。「中山広場」と返すと、10元(約153円)と返事が返ってくる。僕が外国人に見えたのか、「日本か?韓国か?」と尋ねてきた。「日本」と言うと、片言で「こんにちは、ようこそ」と言ってくれた。

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【2014.11.22】大連周水子空港にて

 バスに乗り込むや、すぐ出発する。

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【2014.11.22】空港バスのチケット

 バス内では、ダウンを着込んだ添乗員の女性が行先を確認するので、中山広場と答える。 
 それから、添乗員の女性は乗客たちに、大連という都市の説明を長々とそらんじる。ほとんど聞き取れる内容はなく、何年からロシアの植民地になり、何年から日本の植民地になったといった話くらいしか聞きとれなかった。それから、10元で大連市内の地図を販売していたが、これは全て売り切れてしまうほどよく売れた。どうやら中国の他の地方から大連にやってきた観光客が多いようだった。
 初めてやってきた中国であったが、旅の始まりはとても順調である。

2014年11月 大連3泊4日
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