朝を迎える。
風がひんやりとしている。
【2016.9.18】朝のカシュガル
海岸から2000km以上離れているこの内陸の都市は、日較差が激しいようだ。昼は30度を超えていても、朝には20度を下回る。
宿の前には学校がある。
【2016.9.18】学校
ウイグル人の顔はときに一般的な中国人の顔とはかけ離れているように見えるのだが、首の赤いバンダナにだぼっとしたジャージで学校へ向かうすがたを見ると、そこが中国であることを思い出す。まだその違和感に、慣れることができないでいる。
朝、高校時代の部活の先輩、K氏と合流する。K氏は、ヨーロッパ方面から東アジア方面へと旅をしていて、キルギスから新疆ウイグル地区に入ってきて、ちょうどカシュガルで3泊を過ごしたところだった。本来ならば前日の夜に合流する予定だったのだが、クズルス・キルギス自治州の標高3600mの地点に位置するカラクリ湖からの日帰り旅行の帰り、とんでもない渋滞に遭遇して、K氏のユースホステルへの帰還が僕の就寝後になってしまったのだ。一体、人口過疎地域の山道でどうして渋滞が起こるのかと思われたが、話を聞いてみれば、度重なる検問や登記の都合で、新疆ウイグル自治区内ではよく渋滞が起こるようだった。新疆ウイグル自治区内では、砂漠の中でも渋滞が起こり得る。
同じ宿に滞在していたもう一人の日本人を含めて3人で、朝食を食べに行く。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
まだ、新疆時間午前7時半だった。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
朝早いせいか、まだお店はあまり開いていなかった。
K氏は数週間、中央アジアの食べ物、つまりラグマンやポロのたぐいにはもううんざりといった様子だったが、ここも朝食になるとナンか、ポロくらいしかない。ラグマンは朝にはあまり提供されていないようだった。きっと午前中に麺を打ち、昼から提供されるのだろう。
【2016.9.18】ポロ
しかし僕はまだウイグルは2日目だったので、ポロが食べたかった。
ウイグルの人たちはあまり中国語ができない。例えるならば、一般的な日本人の英語の水準ですら上回っていない。彼らの中国語の発音は「四声」がはっきりとしていないか、無視している。中国語初心者の僕でも、それは分かる。また、話すことができても、漢字を読むことや書くことができるとは限らない。もちろん、英語や日本語は通じない。
【2016.9.18】ポロ
このポロは、茶碗にもられて出てきた。羊の肉は、手を油でぎとぎとに汚しながら、食べる。できたてのポロはおいしい。そして、昨晩に食べたポロよりも甘みも、油加減もずっとよかった。中央アジアの料理をすでに食べ飽きていたK氏もこれはおいしいと認めていた。
【2016.9.18】食堂にて
外へと出る。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
百年老茶館のあるあたり、つまりは、吾斯塘博依路と庫木代爾瓦扎路が交差するあたりには魅力的なサモサや、ナンの露店が出ている。
【2016.9.18】サモサ売りのおじさん
サモサをひとり、一つずつしたためる。
それから、ナンを買いに行ったところ…。
【2016.9.18】ウイグル人のおじさん
日本語で「日本人ですか」と話しかけられる。
あなた、日本語ができるんですか。それも、挨拶レベルの会話にとどまらず、中上級水準の会話までこなす。
おじさん「日本人ですか」
僕たち「日本語が話せるのですか」
おじさん「はい、勉強しました。日本が好きですから」
僕たち「そうはいっても、どうしてそこまで」
おじさん「東京に3か月住んでいました」
僕たち「僕も東京出身ですよ」
おじさん「そうですか。日本人が来てくれて嬉しいです」
僕たち「日本人はあまり来ないのですか」
おじさん「来ないわけではないですが、以前よりは減りました。週に1回くらい、ツアー客を見たりはしますが」
以前よりは減ってしまったという。2009年のウイグル騒乱や、2014年のウルムチでの爆弾テロはもしかしたら日本人旅行客を遠ざけてしまっているのかもしれない。
僕たち「せっかく日本語を勉強したのに、話せなくてさびしいですね」
おじさん「そうですよ」
それから、もしかしたら失礼にあたるかもしれないと思いつつも、このような質問をしてみた。
僕たち「おじさんは自分を中国人だと思いますか」
おじさん「いいえ。私は中国人ではありません。ウイグル人であり、誇り高いカシュガル人でもある」
これが、ウイグル人を代表する意見だとは思わない。ウイグルで、ウイグル語と中国語以外の言語を操り、外部の人間とつながり、自分たちの置かれている状況や、自分たちの正体性を客観的に見つめ直す機会が与えられているウイグル人は極めて少数である。
また、このような質問がかえってウイグル人の気を悪くさせる場合もあった。その反応は、「新疆人も当然、中国人であるのに、あなたがたは外見でものごとを判断しようとしている。外見が中国人のように見えなかったり、中国語がつたないからといって、外国人扱いされるのは気分を害される」といった種類の反応であり、こういった質問はうかつにするべき質問ではないと改めて思う。
ナンをいくつか買う。
【2016.9.18】窯
ナンを焼く窯がある。窯の内側の凹んでいる部分に、ナンをくっつけて焼くらしい。
【2016.9.18】ウイグル人のおじさん
僕たち「その器はウイグルのものですか。ウズベキスタンで見たものに似ています」
おじさん「ウイグルのものです。ウズベキスタンとウイグルは似ていますから」
おじさんは、日本語で話す機会が少なくてさびしいといっていた。おじさんの本業は、和田玉(ホータン玉)のアクセサリーを売るお店を経営することであった。買わなくていいからと、「中国人はこういうのが好きなんです」とか言いながら、いくつか見せてもらったが、ネックレスが50元(約765円)と、手ごろな値段から販売されていた。
僕たち「おじさんは中国語ができるんですね」
おじさん「はい。そうしないと、仕事ができませんから」
僕たち「カシュガルの人は中国語ができるんですか」
おじさん「若い人たちなら大体。最近は、学校教育もみんな中国語。昔とは違う」
昔とは違う…。そういえばカシュガルは、2010年頃、ベトナムへとつながる広西チワン族自治区の東興、ミャンマーへとつながる雲南省の瑞麗、ロシアへとつながる内モンゴル自治区の満州里などと並び、沿辺経済特区に指定されたんだっけ。学校での中国語教育には、そういうことが影響しているかもしれない。香港と接している深圳が、特区に指定されて以来、片田舎だったのがたったの30年で中国第4の都市にまで成長したことを考えると、カシュガルが今後、どのような発展をみるのかは想像がつかない。しかし香港とは違い、カシュガルからつながる国はキルギスやパキスタンであることを考えると、深圳のような劇的な発展は起こらないのかもしれない。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
おじさんは日本語を話したがっていたから、話し相手になってやってほしい。そのおじさんは、百年老茶館のある建物の和田玉の売店(吾斯塘博依路と庫木代爾瓦扎路が交差するあたり)にいて、朝にはお店の前で、できたてほかほかのナンを売っている。
朝の街を散策する。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
4日後の夕方にはカシュガルに戻ってくる予定だったから、名残り惜しいとかそういう気持ちはなかった。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
まだ就学していない子どもたちは、朝から路地で遊んでいる。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
お母さんを手伝って、野菜の入った袋を持ってあげたりしている。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
雲一つない青空で、この日も暑くなりそうだった。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
これから、K氏とともにカシュガルを離れ、ヤルカンド(莎車)へと向かう。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
ともに朝ごはんを食べた、日本人女性とはここでお別れである。
◆2016年9月 ウイグル9泊10日
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風がひんやりとしている。
【2016.9.18】朝のカシュガル
海岸から2000km以上離れているこの内陸の都市は、日較差が激しいようだ。昼は30度を超えていても、朝には20度を下回る。
宿の前には学校がある。
【2016.9.18】学校
ウイグル人の顔はときに一般的な中国人の顔とはかけ離れているように見えるのだが、首の赤いバンダナにだぼっとしたジャージで学校へ向かうすがたを見ると、そこが中国であることを思い出す。まだその違和感に、慣れることができないでいる。
朝、高校時代の部活の先輩、K氏と合流する。K氏は、ヨーロッパ方面から東アジア方面へと旅をしていて、キルギスから新疆ウイグル地区に入ってきて、ちょうどカシュガルで3泊を過ごしたところだった。本来ならば前日の夜に合流する予定だったのだが、クズルス・キルギス自治州の標高3600mの地点に位置するカラクリ湖からの日帰り旅行の帰り、とんでもない渋滞に遭遇して、K氏のユースホステルへの帰還が僕の就寝後になってしまったのだ。一体、人口過疎地域の山道でどうして渋滞が起こるのかと思われたが、話を聞いてみれば、度重なる検問や登記の都合で、新疆ウイグル自治区内ではよく渋滞が起こるようだった。新疆ウイグル自治区内では、砂漠の中でも渋滞が起こり得る。
同じ宿に滞在していたもう一人の日本人を含めて3人で、朝食を食べに行く。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
まだ、新疆時間午前7時半だった。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
朝早いせいか、まだお店はあまり開いていなかった。
K氏は数週間、中央アジアの食べ物、つまりラグマンやポロのたぐいにはもううんざりといった様子だったが、ここも朝食になるとナンか、ポロくらいしかない。ラグマンは朝にはあまり提供されていないようだった。きっと午前中に麺を打ち、昼から提供されるのだろう。
【2016.9.18】ポロ
しかし僕はまだウイグルは2日目だったので、ポロが食べたかった。
ウイグルの人たちはあまり中国語ができない。例えるならば、一般的な日本人の英語の水準ですら上回っていない。彼らの中国語の発音は「四声」がはっきりとしていないか、無視している。中国語初心者の僕でも、それは分かる。また、話すことができても、漢字を読むことや書くことができるとは限らない。もちろん、英語や日本語は通じない。
【2016.9.18】ポロ
このポロは、茶碗にもられて出てきた。羊の肉は、手を油でぎとぎとに汚しながら、食べる。できたてのポロはおいしい。そして、昨晩に食べたポロよりも甘みも、油加減もずっとよかった。中央アジアの料理をすでに食べ飽きていたK氏もこれはおいしいと認めていた。
【2016.9.18】食堂にて
外へと出る。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
百年老茶館のあるあたり、つまりは、吾斯塘博依路と庫木代爾瓦扎路が交差するあたりには魅力的なサモサや、ナンの露店が出ている。
【2016.9.18】サモサ売りのおじさん
サモサをひとり、一つずつしたためる。
それから、ナンを買いに行ったところ…。
【2016.9.18】ウイグル人のおじさん
日本語で「日本人ですか」と話しかけられる。
あなた、日本語ができるんですか。それも、挨拶レベルの会話にとどまらず、中上級水準の会話までこなす。
おじさん「日本人ですか」
僕たち「日本語が話せるのですか」
おじさん「はい、勉強しました。日本が好きですから」
僕たち「そうはいっても、どうしてそこまで」
おじさん「東京に3か月住んでいました」
僕たち「僕も東京出身ですよ」
おじさん「そうですか。日本人が来てくれて嬉しいです」
僕たち「日本人はあまり来ないのですか」
おじさん「来ないわけではないですが、以前よりは減りました。週に1回くらい、ツアー客を見たりはしますが」
以前よりは減ってしまったという。2009年のウイグル騒乱や、2014年のウルムチでの爆弾テロはもしかしたら日本人旅行客を遠ざけてしまっているのかもしれない。
僕たち「せっかく日本語を勉強したのに、話せなくてさびしいですね」
おじさん「そうですよ」
それから、もしかしたら失礼にあたるかもしれないと思いつつも、このような質問をしてみた。
僕たち「おじさんは自分を中国人だと思いますか」
おじさん「いいえ。私は中国人ではありません。ウイグル人であり、誇り高いカシュガル人でもある」
これが、ウイグル人を代表する意見だとは思わない。ウイグルで、ウイグル語と中国語以外の言語を操り、外部の人間とつながり、自分たちの置かれている状況や、自分たちの正体性を客観的に見つめ直す機会が与えられているウイグル人は極めて少数である。
また、このような質問がかえってウイグル人の気を悪くさせる場合もあった。その反応は、「新疆人も当然、中国人であるのに、あなたがたは外見でものごとを判断しようとしている。外見が中国人のように見えなかったり、中国語がつたないからといって、外国人扱いされるのは気分を害される」といった種類の反応であり、こういった質問はうかつにするべき質問ではないと改めて思う。
ナンをいくつか買う。
【2016.9.18】窯
ナンを焼く窯がある。窯の内側の凹んでいる部分に、ナンをくっつけて焼くらしい。
【2016.9.18】ウイグル人のおじさん
僕たち「その器はウイグルのものですか。ウズベキスタンで見たものに似ています」
おじさん「ウイグルのものです。ウズベキスタンとウイグルは似ていますから」
おじさんは、日本語で話す機会が少なくてさびしいといっていた。おじさんの本業は、和田玉(ホータン玉)のアクセサリーを売るお店を経営することであった。買わなくていいからと、「中国人はこういうのが好きなんです」とか言いながら、いくつか見せてもらったが、ネックレスが50元(約765円)と、手ごろな値段から販売されていた。
僕たち「おじさんは中国語ができるんですね」
おじさん「はい。そうしないと、仕事ができませんから」
僕たち「カシュガルの人は中国語ができるんですか」
おじさん「若い人たちなら大体。最近は、学校教育もみんな中国語。昔とは違う」
昔とは違う…。そういえばカシュガルは、2010年頃、ベトナムへとつながる広西チワン族自治区の東興、ミャンマーへとつながる雲南省の瑞麗、ロシアへとつながる内モンゴル自治区の満州里などと並び、沿辺経済特区に指定されたんだっけ。学校での中国語教育には、そういうことが影響しているかもしれない。香港と接している深圳が、特区に指定されて以来、片田舎だったのがたったの30年で中国第4の都市にまで成長したことを考えると、カシュガルが今後、どのような発展をみるのかは想像がつかない。しかし香港とは違い、カシュガルからつながる国はキルギスやパキスタンであることを考えると、深圳のような劇的な発展は起こらないのかもしれない。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
おじさんは日本語を話したがっていたから、話し相手になってやってほしい。そのおじさんは、百年老茶館のある建物の和田玉の売店(吾斯塘博依路と庫木代爾瓦扎路が交差するあたり)にいて、朝にはお店の前で、できたてほかほかのナンを売っている。
朝の街を散策する。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
4日後の夕方にはカシュガルに戻ってくる予定だったから、名残り惜しいとかそういう気持ちはなかった。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
まだ就学していない子どもたちは、朝から路地で遊んでいる。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
お母さんを手伝って、野菜の入った袋を持ってあげたりしている。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
雲一つない青空で、この日も暑くなりそうだった。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
これから、K氏とともにカシュガルを離れ、ヤルカンド(莎車)へと向かう。
【2016.9.18】カシュガル旧市街にて
ともに朝ごはんを食べた、日本人女性とはここでお別れである。
◆2016年9月 ウイグル9泊10日
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