地球の覗き方

地球のことをのぞいてみよう

2017年01月

 11月のパリ旅行で、ANAのマイレージが6299マイルもたまってしまった。もともと、3828マイルしかたまらない予定だったのだけれども、復路の便がソウル経由のアシアナ航空の便だったものが、羽田への直行便に振り替えられたため(#0674.アシアナ航空の嬉しいハプニング)、区間基本マイレージのに対して70%のマイレージが加算されるQクラスに変更され、たくさんのマイレージがたまった。往復56400円のチケットに対し、6299マイルもたまってしまったのである。

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 土曜日、日曜日、月曜日の三日間を利用し、岡山にいる友人に会いに行くことにした。

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 しかし、行き先は「高松」である。「高松」の方が案内できるものが多いからと、岡山ではなく高松で落ち合うことにしたのだった(笑)

IMG_0664【2016.12.10】羽田空港にて

 11月29日にパリからANAの便で東京に戻ってきて、11日の間を置いてまたANAの便に乗る。

IMG_0667【2016.12.10】ボーイング787

 使用機材はボーイング787である。11日前にもANAのボーイング787に乗ったばかりだ。ボーイング787は天井高が高く、騒音が軽減されていて、機内の湿度調整に優れているため、快適だ。

IMG_0679【2016.12.10】富士山

 富士山を眺めつつ、離陸する。

IMG_0682【2016.12.10】富士山と市街地

 コンクリートの塊が広がっている。

IMG_0684【2016.12.10】富士山と市街地

 7時25分に離陸する便に乗るために、始発電車に乗らなくてはならなかった。眠かったから、航空機内でしばし、睡眠をとった。

IMG_0698【2016.12.10】上空にて

 東京周辺は雲一つない青空であったが、今はすっかり雲が広がっている。

IMG_0704【2016.12.10】四国上空

 雲と雲の切れ目から、日の光が注ぐ。

IMG_0717【2016.12.10】高松空港周辺

 高松市南部の丘陵地帯にある高松空港へと着陸する。

IMG_0719【2016.12.10】高松空港にて

 すでに12月10日だったが、まだ木々は落葉しきっていなかったので、秋という感じがする。
 空港を出てもまだ、午前9時である。準備はOK。これから始まるであろう讃岐うどん巡りのために、お腹は空かせておいたのだった(笑)


 旅行に関する情報を調べようとすると、検索上位に旅行系の「キュレーションメディア」や「キュレーションサイト」がよく登場するようになった。例えばラオスの古都、ルアンパバーンについて、「ルアンパバーン 観光」と検索する。

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 そうすると、RETRIPの「東南アジア初心者さんにおすす!“ラオス・ルアンパバーン”の観光スポット14選」という記事が出てくる。
 
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 ひとつの記事で、8万以上の閲覧回数があるから、これはアクセスの多い記事である。ルアンパバーンへの旅行を検討した多くの人が、この記事を読んだことだろう。
 しかしながら、読み進めていくとこれが、本当にルアンパバーンを訪問したことのある人物の実体験に基づく記事であるのか、2016年12月にルアンパバーンを訪問したことのある僕は、疑問を感じる。

・東南アジア初心者さんにおすすめ?
 本当にルアンパバーンを訪れて、ルアンパバーンが「東南アジア初心者さんにおすすめ」だと思ったのだろうか。市街地が空港のすぐ近くにあることから交通の便はよいし、治安はよいし、人々に外国人からぼったくろうという気持ちがあまりないし、英語の通じるゲストハウスなどが軒を連ねていることから旅行先としては魅力的ではあるが、発展途上国でありインフラの整備が不十分であることから、停電は起こるし、シャワーから温かいお湯は十分に出てこないし、万が一怪我をした場合、病院にはCTスキャン等の設備がないため、診察を受けに首都のビエンチャンやタイのバンコク等に移動しなくてはならないといった不便さをたぶんに伴う地域なのである。また、日本からは飛行機を乗り継がないと、到着できないことから、日本からのアクセスがよいとは言えない。ルアンパバーンを訪れたことがある人であれば、「東南アジア初心者」という宣伝文句はつけないと思う。

・「メコン川の流れ
 そう書いてある文章の上に載っている写真は、ルアンパバーンを流れるカーン川の景色である。もっとも、カーン川はメコン川の支流であることから、それをメコン川だと言い張ることはできるのかもしれない。しかし、プーシーの丘に登ったことがある人ならば、丘から見える二つの川について「こちらがカーン川で、あちらはメコン川だ」と分けて考えるのが、自然ではないだろうか。

・「ドラゴンをモチーフに作られた霊柩車は黄金色で、日本のものを知っているとびっくりするかもしれません。
 ワット・シェントーンには王の葬儀の際、王の遺体を運ぶのにつかわれたという、龍をモチーフにした船あるいは神輿のようなものが展示されてはいたものの、それを実際に目をして、それを日本のいわゆる「霊柩車」と比較する、そういう発想をするものだろうか。

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【2016.12.19】ワット・シェントーンにて
 
 ・「ラオスはフランスの植民地であったこともあり、フランスパンを使ったサンドイッチが激うま&激安なんですよ!
 東南アジアといえばなんでも「激安!」と言いたくなるが、ラオスのフランスパンのサンドイッチは、外国人にもラオス人にも20000kip(約280円)ほどであり、ラオスの屋台の食べ物としては、高い部類に入る。

・ 「両脇にずらーっと並んだナイトマーケット、そして迷子になりそうなくらい入り組んだナイトマーケット。
 ルアンパバーンのナイトマーケットは大通りに一直線上に並んでいて、入り組んではいないから、迷子になることはないだろう。

 そもそも、「14選」の「14」の基準は何なのだろう。ランキング系列のものが人の興味をそそりやすい、そういう事実を利用しているだけで、意味はないだろう。

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 上で挙げた同サイト(RETRIP)で、以前訪問した、新疆ウイグル自治区の「カシュガル」について検索すると、これについても記事がある。 

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 この記事もまた「7選」と記事に、数値を入れている。

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 そもそもトップ画がタイ寺院(または王宮)であり、新疆ウイグル自治区のカシュガルではない。イスラム教地域を取り扱う記事になぜ、仏教地域のイメージをでかでかと載せるのだろう。

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 まずカシュガルのホテルとして登場するのが、「パミールユースホステル」(#0525.喀什帕米爾青年旅舍(カシュガルパミールユースホステル))である。そもそもホテルではなく、ユースホステルあるいはバックパッカー宿の類である。以前、宿泊した経験があるが、立地はよいが水回りが貧弱なユースホステルであった。館内全体にウイグル風の内装が施されているということはない。記事にある「図書館」というのは、フロントの横にカシュガルを訪問する旅行者のためのガイドブックなどがいくらか置かれているものを指しているのだろうか。しかしそれに「図書館」という表現は似つかわしくない。「カラフルな内装が素敵なホテル」という表現からは、ほぼ遠い宿泊施設である。
 ルアンパバーンの記事にしろ、カシュガルの記事にしろ、自ら撮影した画像はなく、全てが引用である。
 このように実際にその地を訪れたことのない人が執筆した、正確性に欠ける旅行に関する記事が、 検索エンジンの検索上位に出て、たくさんの人に閲覧されているという現状は、嘆かわしいというほかない。憤りすら感じる。自ら足を運んで得た正確な情報を分かりやすくまとめた、そういうサイトが上位に出てくるよう改善を望むばかりである。こういった記事は、人々が正確性の高い情報を得るのを困難にする。人々の旅行を、難しくさえしている。
 そうであるからこそこのブログではできる限り、自分の足を使って得た情報を、飾ることなく、体験したことそのままを淡々と記述していきたいと思う。 


 韓国での留学生活を終え日本に帰国してからすでに1年半が経過した。
 韓国生活終盤には、週末に日本に帰国するというかたちで就職活動をおこなったが、芳しい結果はなかった。韓国で就職することも考えられたが、2年間半の大学院生活の果てに修士学位を諦めるという苦渋の決断のあとだったから、なんだか韓国もいづらかった。これからのことは、日本に帰国し、休養しながら考えればよいと思った。それから、たくさんの旅行に行った。例えば、留学を終え帰国してから間もない頃には、トルコ、グルジア、アルメニアを3週間にわたって旅行をした。日本と韓国の、さらに外の世界を見ることができて新鮮だった。
 しかし、旅行ばかりに行って、それ以外には何もしないというわけにもいかなかった。特定の組織に属するということはせずに働いた。韓日翻訳、通訳、日本語教師、韓国語教師、建築会社でのアルバイトをしながら、時間が空くごとに旅行に行った。
 働いているもののいくつかは、アルバイトやインターン生としてその組織で働きながら、その組織と相性が合うようだったら社員として働くという道も開かれるもので、それらは就職活動を兼ねていたともいえるが、あるものは雇用者の方から突然、連絡を切られたものもあれば、あるものは僕の方から断ったし、成功的とは言えなかった。
 翻訳や通訳はそれを生業としていきたいと思う就職とは言えなかったが、収入のうちの大きな比重を占めるものであった。特に通訳となるとさまざまな現場に派遣されるため、世の中がどう回っているかということを普段は経験できないような様々な視点から垣間見ることができ、有意義だった。その現場というのは、国際コンペティションの審査であったり、小学校であったり、国際スポーツ大会であったりと、幅広かった。この経験は、どういう現場で働くことが自分にとって向いているのかということを見極めるのに、役に立った。また、さまざまな人々が働く場面に接し、どういう性格の人たち働くのが僕にとってよいのかということを知るにも、ちょうどよかった。
 IMG_1683【2016.12.18】バンコクにて

 そうしている間に1年半が過ぎた。日本にはもともと、次のステップを見極めるために帰国したのだった。そろそろ、次のステップに進んでもよいのではないかと思いつつある。
 一つ言えることは、日本で仕事をするということが、 いまいち、僕の性には合わない。あまりにもものごとを細かく、そして、完璧に遂行しようとする。90%の完成度でよいと思うものに対して、100%を要求される。90%の完成度を100%に引き上げるのに、どれだけの労力がいることか。時には、0%のものを、90%に引き上げるのに必要な労力よりも、さらなる労力を要するが、そういう仕事の姿勢に、ついていくことができない。
 また東京での生活が僕にとっていまいち、刺激的ではない。どうやら僕は、外国、つまり外国語の環境、あるいは異文化に身を置き、自分に負荷をかけ、その負荷を乗り越えようと挑戦をしていく、そういう行為によって「生きているという実感」を得られる、そういう人間なんだということに気付く。東京での生活は僕の生まれ故郷であることから「楽」ではあるけれども、そういう「生きているという実感」が乏しいところであり、内なる欲求が外国を欲する。外国を身を置き自分の新しい可能性を切り拓く、そういうことをかつて3年間半の韓国滞在中おこなっていたわけだけれども、そういうことをもう一度やってみたいと思う。
 そういう考えから、海外で働くことを考えている。 


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