ヒヴァのチャイハネで休息をとることにする。
 厳しい陽の光を避けたくもあった。

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【2014.7.20】紅茶とスープ

 紅茶とスープをいただく。なんだかお腹が減っているような気がして、マンティやプロフ(ウズベキスタンのピラフ)などを出してもらう。パンは要らないのかと言われたが、この乾燥した酷暑の中、パンは食べられそうもなかった。喉が余計、渇いてしまいそうだった。

IMG_6413【2014.7.20】マンティとプロフ

 その食堂にはその日、ヒヴァにやってきていた外国人観光客が集結しているように見えた。同じタクシーを乗ってブハラからやってきたドイツの大学生2人もいたし、日本からやってきた10名ほどの団体旅行客と添乗員のすがたも見える。
 それと、小さな声で話す、韓国からやってきた中年男性2人もいた。そちらの方をみていたら、片方の男性が僕のところに近づいてきて韓国語で「韓国の方ですか」ときいてくる。「いいえ。日本人ですが、韓国語も分かりますよ」と韓国語で返答する。中年男性2人は典型的な慶尚道(釜山のある地方)のイントネーションで韓国語を話した。片方の男性は釜山のある大学で、外国人に対する韓国語教育を研究しているという。そのため、日本人である僕が韓国語を話したからと言って、そういった状況に慣れているせいか、さほど驚きの表情は見せなかった。
 それから中年男性が「コチュジャンが残っているから、使ってもいいぞ」という。アシアナ航空の機内食として出てきたコチュジャンを使わずに、ウズベキスタンに持ち込み、使っているようだ。プロフにつけて食べてみたら、これがなかなかいける。安らぎすら感じた。正直なところ、ブハラでお腹の調子が悪くなってから、食べなれた味の食べ物がやたら恋しかった。まさかコチュジャンを加えたプロフでその気持ちを充足させるとは。たしかに僕は当時、韓国に留学していたから、それが可能だったんだろう。友人に食べさせたら「たしかにおいしいが、俺にとってはウズベキスタン料理が韓国料理に変化しただけで、それを食べたからと心が落ち着いたりはしない」と言っていた。その時まで、海外旅行にわざわざコチュジャンを持っていく韓国人(類似のものとして醤油を持っていく日本人)をバカにしていたけれども、その心情を分かるようになった(#0029.アシアナ航空のコチュジャン)。基本的に旅行に行ったら、できるだけその土地の食べ物を食べていたいけれども、それにこだわって苦しむくらいなら、そんなことしないほうがいい。
 また散策に出る。

IMG_6418【2014.7.20】ヒヴァにて

 相変わらず、日蔭を全く見つけられない。

IMG_6423【2014.7.20】ヒヴァにて

 人影がまばらだ。

IMG_6428【2014.7.20】ヒヴァにて

 チャイハネに戻って、休むことにした。

IMG_6432【2014.7.20】ヒヴァにて

 メロンとジュースを出してもらう。

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【2014.7.20】チャイハネにて

 この旅行は移動と観光地をめぐるので忙しい旅行だったと思う。それはそれで楽しかったけれども、こうやって暑い昼の時間に直射日光のあたらないチャイハネでのんびりと休むという、「ウズベキスタンらしいくつろぎ方」を知らずに最後までやってきてしまったというのは、この旅行の惜しい点だったと思う。暑い昼には、チャイハネでお茶を飲んだり果物をつまんだりしながら、だらだらと過ごす。やっとこの国に慣れたかと思えば、旅行が終わってしまう。次にウズベキスタンに来るときは、ウズベキスタンらしいくつろぎ方というものを思う存分実践してやろうと、誓ったのであった。

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【2014.7.20】チャイハネにて

 風が吹き始める。あまりいいものではない。砂漠の町で吹く風は、砂を含んだ風だ。砂を含んだ熱風にさらされるのはさほど、気持ちのよいものではない。もちろんチャイハネにいたから、チャイハネの外にいるよりはましだったと思う。
 2時間弱は休んでいたと思う。空港行きのタクシーに乗る時間がそろそろやってくる。ヒヴァの町の風景を目に焼き付けるため、最後の散策をする。

IMG_6444【2014.7.20】ヒヴァにて

 路地を歩いていると、工事中の現場が結構、目につく。観光地として海外に売り出すために、修景事業が進んでいる。奥をみると、砂や石の上に絨毯がのせられている。ああいう絨毯の使い方もあるのか。砂の飛散防止用に使うとは、少しもったいない気がするけれども。

IMG_6445【2014.7.20】ヒヴァにて

 大分、たくさんの雲がでてきて、日差しが和らいでいた。

2014年 夏ウズベキスタン7泊8日
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