もう一度、城壁に上ってみることにした。前の日は夕方に上ってみたが、昼にはどのように見えるのかが気になった。ヒヴァはやはり、空の表情が穏やかな街だと思う。

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【2014.7.20】城壁にて

 これから飛行機に乗ってヒヴァからタシュケントへと戻る。タシュケントはソビエト連邦時代に発生した地震のため、中世以来の建物の多くは崩壊してしまい、その後、ソビエト式の都市計画によって復興した都市だから、このような中世の雰囲気は残ってない。ウズベキスタンの古い街並みの中を歩くのもこれで終わりだと思うと、さびしい思いがする。

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【2014.7.20】ヒヴァにて

 もう、空港へ行くタクシーが発車する時刻が迫っていた。友達と特に話すこともなく、ひたすらヒヴァの景色を目に焼き付けていた。

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【2014.7.20】ヒヴァにて

 ソウルから飛行機でタシュケントへ、それからサマルカンド、ブハラ、ヒヴァと奥を目指してやってきた。しかしもう奥へ行くのは終わりで、東側、タシュケントへと戻っていく。

IMG_6486【2014.7.20】西門

 さようなら、ヒヴァ!
 ゲストハウスの人が手を振って挨拶をしてくれた。我々を助けてくれた子供の兄妹は、次、僕がヒヴァに訪れる時はどうなっているだろう。結婚して立派な家庭を築いているのだろうか。次、ヒヴァに訪れることがあるにしても、それは未来のヒヴァを訪れるわけであって今のヒヴァを訪れることはもうできない。
 タクシーは我々と、どこから話を交わすことはなかったが2人の白人男性をのせて出発した。ウズベキスタンの風景をしっかり記憶しておきたくて、ずっと窓の外を見つめていた。

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 40kmの道のりも、時速120kmで走り続ければ20分で着く。

IMG_6487【2014.7.20】ウルゲンチの空と駐車場
 
 ウズベキスタンでは空港や鉄道駅の撮影は禁じられている。この写真はただ、空と駐車場を撮ろうとしていたところ空港が偶然映り込んでしまったものだと弁解しておこう。
 ヒヴァの観光を終え次の目的地であるブハラへ向かうという、日本人の団体ツアー客の人たちと雑談をしながら飛行機を待った。 ヒヴァのチャイハネですれ違った、日本の団体ツアー客で、30台から70代にかけての老若男女だった。このウズベキスタンの小さな都市に、島国・日本からやってきた人間たちが10名内外集結しているというのは、不思議な光景である。我々はサマルカンド→ブハラ→ヒヴァの順で観光したが、彼らはヒヴァ→ブハラ→サマルカンドの順で観光をするらしい。おばさんというのは、地球上のどこにいても、話が好きなんだと思う。

おばさん「ブハラはどうだった?サマルカンドはどうだった?教えてよ~。」
僕「ええ、ネタバレになっちゃいますけど!」
おぼさん「いいのよ~。ネタバレしちゃって!」

 この調子で、1時間ほど話をしただろうか。ブハラ行きの飛行機が先に出発するといって、別れの挨拶をした。我々が乗る飛行機はそれから10分後に出発する予定だったが、結局、2時間ほど待たなくてはならなかった。これといって案内放送はなく、空港の職員にきいても 「お待ちください」と言うだけだった。出発予定時刻すら分からなかったのだろうか。しかし不思議なことに、同じ飛行機に搭乗するウズベキスタンの人々は、飛行機の離陸が遅延していることについて、特に何も思っていないようだった。誰も、職員にたずねるようなことはしていなかった。特に不満もなく、疲れているようすもなかった。こういう時静かに待てず、いらいらしてしまうのは、普段から時間に追われて暮らす、日本人の悪い癖なのかもしれない。「この電車は定刻より5分遅れて到着します。申し訳ございません」といった放送を聞く東京の地下鉄の方がずっと、おかしいのかもしれない。
 ついに飛行機に搭乗する。スチュワーデスが離陸する前から飲み物を配りだす。これをどうしようというのか。離陸後、機首を上げて高度を上げている間に紙コップに液体が入っていては、こぼれてしまうと思う。搭乗後、離陸前の短い時間の間に水を飲めというのか。高度が上がり終わり水平飛行の状態になってから乗務員が水を配るのは、気圧の変化にお客さんの耳を馴らさせる意図があると聞いたことがあるが、離陸前に配っては何の意味があるのか分からない。
 1時間半ほど寝ているうちに、タシュケント空港へと到着した。荷物がすぐに出てこない。出てくるのに30分から40分ほど待たされて、 うんざりしてしまった。タシュケント空港のサービスはお世辞にも言いとはいえない。首都だから、国の玄関だから、よいサービスを提供しようという見栄もないようだ。
 ゲストハウスには深夜に到着した。ウズベキスタン旅行1日目に泊まったゲストハウス、「Mirzo B&B」である。また、初日と同じようにゲストハウスの青年が空港に迎えに来てくれたが、予定よりも3時間も遅れての到着をすまなく思った。
 それにしてもタシュケントに到着して、安心した。ウズベキスタンという異国にいながら、安心するというのもまたおかしな話だと思う。1日目にタシュケント空港からゲストハウスへと向かう車中から見えた景色と全く同じ景色が見える。1日目には「これがウズベキスタンなのか」と興奮交じりで見ていた景色は、今、「あの時は興奮していたなあ」という 、過去を回想する懐かしい気持ちをともなうものに変わっていた。7泊8日という短い冒険ではあったが、確実に気持ちは変わっていた。運転をしてくれた青年はウズベキスタンはどうだったかという。当然、いいところだったと答えた。ゲストハウスに入ると、旅の終わりを強く感じた。翌日にタシュケント市内を見て回ってからは、アシアナ航空でソウルへと向かわなくてはならない。飛行機の遅延のため、夕食をとる時間もなかったから当然、お腹は空いていたはずなのに、そのことすら感じられないくらい疲れていた。

2014年 夏ウズベキスタン7泊8日
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