バザールへと向かった。

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【2014.7.21】バザールにて

 おみやげをもう少し、揃えたいと思った。ウズベキスタンの陶器は、本当に美しいものが多い。

IMG_6601【2014.7.21】バザールにて

 一番美しいと思ったものは、先に、同行の友人が買ってしまった。僕も本当にそれが欲しかったのに、先に見つけたのは友人だった。ウズベキスタンの友人がお店の人と交渉して、まけてくれた。
 ここで買った湯呑み茶碗はひとつ1ドル程度だったが、日本のインターネットサイトでは1080円ほどで販売されていたから、もしかしたらそこにはビジネスチャンスがあるのかもしれない。どれだけ需要があるのか分からないが。
 持ち帰る際、食器が割れてしまうかと心配したが、新聞でしっかりと包装しておいたおかげで、割れることはなかった。ウズベキスタンにいる時はウズベキスタンの風土と相まってこれらの食器類はとても美しく見えたが、日本に戻ってきて、日本の家の机に置いてみるとどうも存在感が強すぎて、あまり調和していない。今もこの日本で、ウズベキスタンでの旅行の記憶とともに、ぴかぴかと輝いている。
 ナヴォイ劇場にやってくる。

IMG_6606【2014.7.21】ナヴォイ劇場

 建設の際、ソビエト連邦の捕虜となった日本人が動員され、建てられたものだという。やや怪しい日本語で、「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイ―名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」と、書かれたプレートがある。
 この建物についてインターネットで検索してみると、この建物は1966年にタシュケントに大きな被害をもたらしたタシュケント大地震にも崩れることが無かったため、ウズベキスタンの人々は日本人の仕事っぷりに敬意を感じるようになり、ウズベキスタンが親日国となる契機になっただとか説明されているけれども、ウズベキスタンの友人に訊いてみれば、「そうね。日本人とドイツ人捕虜かしら…。彼らが建てたっていう話は耳にしたことはあるけれども、それはおそらく、ウズベキスタンでは有名な話ではないと思うわ」という反応だったので、ああいった情報は、さほど信じるに値しない「噂」の類でしかないのだと思う。しかし、ウズベキスタンに旅行に行く人はあまり多くはないから、こういったことは検証される機会もまた少ないと思う。虚構が一人歩きをする。
 それから、買った陶器類のおみやげをゲストハウスに置いてから、中庭で休む。ゲストハウスのおじさんが、ウズベキスタンの歴史の話をしてくれ、また、ウズベキスタンの伝統楽器と歌でもてなしてくれた。おじさんはロシア語で話し、ウズベキスタンの友人が英語に通訳してくれた。ウズベキスタンの地にはかつて偉大な帝国があった、また、天文学や数学など科学面においても世界に影響を与えたという歴史(例えば、サマルカンドのウルグ・ベグ天文台)があるのに、外国の人々はほとんどそのことを知らないと嘆きつつ、それでも、あなたたちがウズベキスタンにやってきてくれたのは何かの縁だから記憶しておいてほしいということだった。長い間、ソ連の支配下にあり、独立してから歴史が浅いことから、国際的な認知は低水準であることが少なからず影響をしていると思う。国民国家を持つことができなければ、そこに住む人々は、人類の歴史に参加することすらできなくなるのだろうか。

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 まだ、もう少し時間があったから、散歩へと出かけた。なんと、日本料理店を見つけた。

IMG_6609【2014.7.21】寿司レストラン

 しかし、한식(韓国料理)、南大門(NAM DAE MUN)とも書かれており、正体がよくわからない。日本なのか、韓国なのか。それとも、ウズベキスタンでは、日本であれ韓国であれ「同じ」なのだろうか。

IMG_6610【2014.7.21】寿司レストラン

 それにしてもウズベキスタンで日本食のレストランを見るのは初めてだった。旅行最終日まで見ることが無かったから、ウズベキスタンには一つもないものかと思っていた。
 それから、スーパーに行き、果物などを買った。ウズベキスタンの友人の職場が近くにあったので、そこで水洗いして、公園で食べた。

IMG_6614【2014.7.21】果物

 ウズベキスタンの友人と、次いつ会えることになるか分からない。韓国の語学学校を卒業してからウズベキスタンに帰国した後にこうして会えたということ自体、奇跡に近いことである。彼女は、韓国や日本に遊びに行きたいと言ったが、無国籍の彼女(#0289.タシュケントで1年7か月ぶりに友人と再会する)にとってビザを取得することは容易ではなく、往復の航空券も、タシュケントで1か月働いて得られる給料よりも高いので、そう簡単なことではないと言った。また、韓国で知り合った友人のうちウズベキスタンにまでやってきたのは僕が初めてだったという。
 次はどこで会えるだろうか。この質問に対し、彼女は、ロシアになるかもしれないと答えた。親戚のいるロシアに移住すると。ロシアの生活水準が高いし、ロシア語が母語だからロシアで働くにも問題がないだろうと。一方、ウズベキスタンの方は、ソ連からの独立後、あくまでもウズベク人のための国家としての性格が強まっていて、ウズベク語が分からない、ロシア人や高麗人、タタール人にとって住みやすい国ではなくなっているという。発展がない。どんどん、悪くなっていく。ただ、高齢の祖父母がいるから、タシュケントにとどまっているのだと。民主的な国でもないから、社会を変えたいという考えがあっても希望がないとまでいう(中国よりも民主化指数は低い)。今度会う時は、モスクワだろうか。

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 それから空港へと向かった。空港へ向かうにも、走行中の一般車両を止め、交渉をし、タクシー代わりに利用した。

IMG_6617【2014.7.21】バザール

 途中、もう少しお金を払うからスーパーに立ち寄ってくれないかと交渉してもらい、ウズベキスタンの茶葉やワインなどのお土産類を追加で購入した。
 いよいよ、ウズベキスタン旅行が終わる。7泊8日だったが、長い冒険だったように思う。空港の駐車場で記念撮影をし、感謝の言葉を述べ、別れることとなった。
 空港は検査が多い。空港の建物に入る際を初めとして、X線検査が、搭乗するまで計3回もあった。しかし、飛行機に搭乗してから、機内に持ち込んだ鞄の中に水の入ったペットボトルがあることに気づき、その検査がただ形式上行われているものでしかないことが判明した。ウズベキスタンは最後まで、ウズベキスタンらしく振舞ったといえば、失礼な言い方だろうか。
 早く東アジアに戻って、清潔な軟水が飲みたい、湿った空気を呼吸したい! 
 さようなら、ウズベキスタン!また会う日まで。

2014年夏7泊8日ウズベキスタン旅行記 完

2014年 夏ウズベキスタン7泊8日
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