トゥクトゥクはシュエダゴン・パゴダ(Shwedagon Bagoda)をあとにして、3つ目の目的地へと向かう。

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【2016.7.7】トゥクトゥクの中から

 3つ目の目的地はシュエダゴン・パゴダのすぐ近くにある、ワット・プラ・ヨク(Town Ship Dhan Ma Yon, วัดพระหยก)だ。タイ語を見るに「翡翠寺」といった名前になるが、ミャンマー語でどうなっているのか、僕の知識には及ばない。

IMG_0873【2016.7.7】ワット・プラ・ヨク

 小さなお寺である。お寺の前にいる、鐘を持つ二人の像がこれもまた陽気で幸せそうだ。

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 鐘は左にある木の棒で、9回撞く。
 中に入る。仏像の前でお祈りをする。

IMG_0874【2016.7.7】仏像

 トゥクトゥクドライバーも中に入ってくる。お寺の中に犬が休んでいたのだが、その犬と遊んでいる。かわいいだろうと言いたげに、僕に見せてきては、にやっと笑う。
 仏像の前に透明のプラスチックの賽銭箱があるのだが中を見ると、タイバーツとマレーシアのお金しか入っていない。マレーシアは観光客が持ってきたものであるにしろ、ミャンマーのお金がない。不思議に思って尋ねてみると、ミャンマーのお金はこの地域では受け取らないよ、という。タチレクでは、タイのお金しか使わない。つまり、ここはミャンマーではあるが、タイの国王が描かれているお金しか流通していないわけである。たしかに国際的にはミャンマーの通貨よりは、タイの通貨の方が信用性が高いし、タイの通貨を持っていれば国境を渡ってメーサーイの方でも利用ができるから、便宜性が高いということが分かる。では、タチレクでは銀行の預金はどうなっているのか、租税はどうしているのか、疑問は残る。タイバーツによる銀行預金や、タイバーツによる租税がミャンマーでも可能なのだろうか。ミャンマー政府は、ミャンマーを支配しきれていないように思う。

IMG_0876【2016.7.7】仏像

 トゥクトゥクドライバーが、台の手前に置かれている、へこんでいる仏像が不思議だろという。たしかに、神々しい。これが、タチレク人の自慢なのだろうか。
 仏像の写真を撮って、LINEで友人に送る。そういえばこのタチレク、タイ側の電波が通じる。僕は、タイの大手通信会社AISのSIMカードを差し込んだはずだが、ミャンマーで利用できている。

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  しかも、4Gの電波をキャッチしている。 通信速度もなかなか速い。タチレクはミャンマーでありながら、タイである。
 さて、次の目的地へ向かう。トゥクトゥクドライバーは次は「ladies」だという。首長族の村のことだと思ってい、そうなのかと尋ねると、違う、そこには行かないという。どういうことかと目をぱちくりさせていると日本語で「オキヤ」と言い始める。なぜ、そんな日本語を知っているんだろう。そういう目的で来訪する日本人がきっと多いからだろうが、僕はそういうことには興味がなかったから、タイの国境に戻るよう言った。

IMG_0878【2016.7.7】国境に戻る

 置屋はだいたい目立って存在せず、民家などに隠れて存在しているだろうから、そういうことを目的にしてやってくる人にとってはトゥクトゥクドライバーによる案内が不可欠になるとは思う。それにしてもあの時の「ladies」という言葉が、置屋のことだとは思わなかった。(#0389.タチレク訪問記1 - トゥクトゥクで市内を回ってもらう)
 お金を渡して、バイバイと挨拶をして別れる。

IMG_0879【2016.7.7】国境近くの市場

 僕は、女性の性をお金を払って買おうとは全く思わない。たしかにそれは、サービス提供者と客の間の金銭のやり取りによる合意の上で成立しているものであるから、双方の間で完結した取引ではあるかもしれないが、僕はそれを好きにはなれない。
 ミャンマーとタイの間ではれっきとした格差がある。国境地帯でこういったビジネスが盛んになってしまうのも、この格差がゆえである。つまり、国境をこえたミャンマー側のタチレクではタイ側と比較して、性的サービスを安価で提供できてしまう。それがゆえ、安価な性的サービスを求めにたくさんの人がタイ側からミャンマー側のタチレクにやってくるようになる。
 さてこの時、合意の上に成立している行為だから問題がないと言えるだろうか。もし、ミャンマーとタイの間の経済格差が無かったとしても、タチレクの女性たちは性的サービスを提供することにともなう一般的な危険を冒してまでサービスを提供しただろうか。必ずしもそうとは言えないと思う。そう考えるとこれは一見「金銭的なやり取りによる双方の合意」でありながら、本質は「格差と貧困を利用した人身売買」の問題なのである。社会的な格差によって、性病や、望まない妊娠、暴力という危険がつきまとう性風俗産業に身を投じることになっている女性がいるはずなのである。人は皆、等しく生きる権利があるとは言うが、現実は、貧乏な地域に生まれれば命の価値が低くなるのである。それは人権の問題であると思うし、そういう現実を利用して女性の性を買うという行為に僕は嫌悪感すら抱く。

2016年7月 タイ北部6泊7日
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