香港では、2017年より特別行政区行政長官選挙がおこなわれる予定であるが、2014年8月31日に中国共産党が、「行政長官の立候補者は共産党の下部組織の委員会の承認をうけなくてはならないこと、また、立候補者の人数は数人に限定されること」を発表するや、香港ではそれは真の普通選挙には当てはまらないとして、「我要真普選」のスローガンを掲げたデモ活動が活発化した。デモ活動の規模は徐々に大きくなり、9月26日からは、連日、市民を中心としたデモ隊は中環(セントラル)の道路を覆い尽くすようになった。雨が降る日には、セントラルは大勢の傘で覆われた。市民は、警察の催涙スプレーに傘で防御した。デモ活動はいつの間にか「雨傘運動」と呼ばれるようになり、「傘」はこの運動を象徴するアイコンとなった。
 けれども車両の通行が阻まれるなど、市民生活に影響のおよぶ「佔領中環」の規模は徐々に縮小化し、12月には香港警察により、完全に排除されてしまった。それから1年。真の普通選挙をめぐる動きには変化がないというのに、あの頃の熱気はもはや感じられない。

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【2015.11.2】中環(セントラル)にて

 もはや、運動の痕跡を物理的に残すものも、ほとんど見受けられないと思う。傘のマークはもうほとんど残されていない。Bank Of America Towerの前の陸橋にひとつ・・・。

友人「もうデモはしないんだ。違法になったから。市民の生活に影響が及ぶからって。傘のマークだって落書きとみなされて、政府の雇った環境美化員が消していってしまうんだ。」
僕「・・・。」
友人「無力感しかないよ。そうさ、これが香港の現実なのさ。」
僕「おかしいね。」
友人「言いたいことすら言えない。みんな、抑圧されてるって思ってる。」

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【2015.11.2】中環(セントラル)にて

 ひとつ、駐車場の壁にきれいな傘のマークが残っていた。なぜここだけ残っているんだろう、駐車場の所有者が残してくれたのだろうか。

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【2015.11.2】中環(セントラル)にて

 そして、友人に別れを告げ、空港鉄道に乗り、香港国際空港から東京へと帰る。6泊7日の旅行のラストシーンは、「やるせなさ」で飾られた。
 とはいえ、雨傘運動の灯が完全に消えてしまったのかといえばそれは違う。11月22日に、運動後初めて行われた1人1票の地方選で、デモに参加した8人の「傘兵」と呼ばれる若者が当選したという。雨傘はこれからも、香港に灯りつづけるであろう。