ヤルカンドのアルトゥンモスク(Altun Mosque)の裏口は、そのまま墓地へと続いている。

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【2016.9.18】墓地

 ちいさな並木道、それからまばらな樹々のようすが、僕が通っていた中学校、高校の近くにあった谷中霊園を思わせる。同行の、高校時代の部活の先輩であるK氏も認める。ヤルカンドにいながら、学生時代を懐かしく思う。すでに入学したのは14年前、卒業したのは8年前のことであるが。

IMG_3016【2016.9.18】路地にて

 路地の塀に塀の影がうつっていて美しい。
 おじいさんたちが集まって何かを話している。

IMG_3020【2016.9.18】ウイグル人のおじいさんたち

 中国語は通じなかった。
 「アッサラーム・アライクム」と挨拶をすれば、「ワ・アライクム・アッサラーム」と返す。

IMG_3022【2016.9.18】ウイグル人のおじいさん

 ウイグルのおじいさんたちは立派な髭を生やす。若い人は生やさず、綺麗に剃る。それは、ウイグル人の習慣なのだろうかと思ったが、新疆ウイグル自治区内で時折みられる「若い人間が髭を生やすことは過激派であるしるしである」といった公共広告(あるいはプロパガンダ)から察するに、政府当局の関与もあると判断される。ウイグルでは50歳の男性にしか、髭をのばす権利が与えられていないといった情報もある。日本からの旅行者は、ウイグル旅行中は髭を剃っておいた方が、トラブルが少ないだろう。
 墓は、伝統的な中央アジアのイスラム教徒のスタイルである。

IMG_3025【2016.9.18】墓

 そういえば同じく中央アジアのウズベキスタンの墓地は、イスラム教徒のものであるにも関わらず、ソ連のスタイルだった。(#0062.サマルカンドの丘の墓地)
 言語をアラビア文字で表記しているか、肉声のアザーンが未だに残っているか、墓のかたちが伝統的なものでかという点で、ウズベキスタンなど、つまりソ連の支配を受けた中央アジア地域よりも、ウイグル、つまり中華人民共和国の支配を受けている中央アジア地域の方が、伝統が保たれているようにもみえる。
 土と藁でできた墓もある。

IMG_3027【2016.9.18】墓

 ウイグルではいまだに土葬をおこなっているという。この墓の数m地下には、亡骸が眠っているはずである。 そう思うと、むやみに立ち入れないようにも思う。

2016年9月 ウイグル9泊10日
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