ヤルカンドの見どころが集まる広場へと戻る。
新疆時間午前11時頃だったが、人影はまばらだ。
【2016.9.19】広場にて
15元(約230円)の入場券を買う。
この入場券があると、王宮、王陵、そして東チャガタイハン王国の有名な詩人かつ音楽家であるアマンニサ・ハン(1533~1567年)の墓がある。
まず、アマンニサ・ハン(阿曼尼沙汗)の墓から向かう。もともと貧しい家庭の出身だったが、その美貌と才能が認められ、王の妃になったという。しかし34歳の時、難産の末、亡くなった。現在は、ウイグルの民族音楽、十二ムカームの創始者として名を残しているそうだ。
【2016.9.19】アマンニサ・ハン(阿曼尼沙汗)の墓
彼女の墓はちょうど、改修中であったが、中に入ることができた。
【2016.9.19】アマンニサ・ハン(阿曼尼沙汗)の墓
施工の状態はあまりよいとは言えなかった。天井や壁を白ペンキで塗る時、墓石や床に覆いをしなかったようだ。墓石や床がペンキで汚れている。
【2016.9.19】内部
アマンニサ・ハンの墓の隣には、王陵がある。
【2016.9.19】王陵
王陵へと向かう。
【2016.9.19】広場にて
王陵は、前の日に訪れた、アルトゥン・モスク(#0488.ヤルカンドのアルトゥンモスク(Altun Mosque)で肉声のアザーンを聞く)と同じ敷地にある。
【2016.9.19】アルトゥン・モスク
午前中だったから、まだモスクは扉が開かれていなかった。
葡萄棚の下を通って、奥へと進む。
【2016.9.19】王陵にて
ヤルカンド・ハン国の創始者スルターン・サイードと、歴代の王族の墓である。
【2016.9.19】王陵にて
王陵の規模からして、ヤルカンド・ハン国というのは、それほど大きな都市国家ではなかったものと思われる。
【2016.9.19】王陵にて
墓は周りよりも一段高く作られている。
【2016.9.19】王陵にて
周辺を望むことができる。
【2016.9.19】王陵にて
あの緑色の墓石はなんだか、西瓜の皮を連想させる。そう思ったのは僕だけだろうか。
【2016.9.19】王陵にて
王陵内のいくつかの建物は、資材置き場として利用されている。この地域の人々はこの王陵に、愛着や敬意を持っていないかのように感じられてしまうのだが。
ところでこの建物も、壁のペンキが白く、最近塗られたものであるということが分かる。
【2016.9.19】王陵にて
葡萄棚の下が座れるようになっていたので、ザクロジュースを飲みながら、休んでいた。さきほどのアマンニサ・ハンの墓のペンキが散っている墓石にしろ、資材置き場として利用されている王陵など、管理のがさつさが気になった。そういう話を同行のK氏としていた。日本にも管理が行き届いていないため、朽ち果てた神社の建物や、雑草が伸び放題でなかば資材置き場のように利用されている廃れた寺院があることを思うと、こういったものがウイグルの人々にとっては至極日常的なもので、さほど貴重なものだとは感じられないのだろう、そういう結論を下すことにした。
【2016.9.19】アマンニサ・ハン(阿曼尼沙汗)の墓
それにしてもこのあたりは工事や改修ばかりをしている。王宮周辺もそうだったし、アマンニサ・ハンの墓もそうであるし、王陵だってペンキを新しく塗ったりした形跡があった。 ただ、それらの改修行為が文化遺産をあまり魅力的にしているようには感じられなかったのが残念だった。
◆2016年9月 ウイグル9泊10日
◀前の旅行記:#0496.ヤルカンドの王宮の周りを歩いてみる
▶次の旅行記:#0498.ルボスタンレストラン ヤルカンド店(努爾博斯坦餐廳莎車分店)でウイグル料理のランチ
新疆時間午前11時頃だったが、人影はまばらだ。
【2016.9.19】広場にて
15元(約230円)の入場券を買う。
この入場券があると、王宮、王陵、そして東チャガタイハン王国の有名な詩人かつ音楽家であるアマンニサ・ハン(1533~1567年)の墓がある。
まず、アマンニサ・ハン(阿曼尼沙汗)の墓から向かう。もともと貧しい家庭の出身だったが、その美貌と才能が認められ、王の妃になったという。しかし34歳の時、難産の末、亡くなった。現在は、ウイグルの民族音楽、十二ムカームの創始者として名を残しているそうだ。
【2016.9.19】アマンニサ・ハン(阿曼尼沙汗)の墓
彼女の墓はちょうど、改修中であったが、中に入ることができた。
【2016.9.19】アマンニサ・ハン(阿曼尼沙汗)の墓
施工の状態はあまりよいとは言えなかった。天井や壁を白ペンキで塗る時、墓石や床に覆いをしなかったようだ。墓石や床がペンキで汚れている。
【2016.9.19】内部
アマンニサ・ハンの墓の隣には、王陵がある。
【2016.9.19】王陵
王陵へと向かう。
【2016.9.19】広場にて
王陵は、前の日に訪れた、アルトゥン・モスク(#0488.ヤルカンドのアルトゥンモスク(Altun Mosque)で肉声のアザーンを聞く)と同じ敷地にある。
【2016.9.19】アルトゥン・モスク
午前中だったから、まだモスクは扉が開かれていなかった。
葡萄棚の下を通って、奥へと進む。
【2016.9.19】王陵にて
ヤルカンド・ハン国の創始者スルターン・サイードと、歴代の王族の墓である。
【2016.9.19】王陵にて
王陵の規模からして、ヤルカンド・ハン国というのは、それほど大きな都市国家ではなかったものと思われる。
【2016.9.19】王陵にて
墓は周りよりも一段高く作られている。
【2016.9.19】王陵にて
周辺を望むことができる。
【2016.9.19】王陵にて
あの緑色の墓石はなんだか、西瓜の皮を連想させる。そう思ったのは僕だけだろうか。
【2016.9.19】王陵にて
王陵内のいくつかの建物は、資材置き場として利用されている。この地域の人々はこの王陵に、愛着や敬意を持っていないかのように感じられてしまうのだが。
ところでこの建物も、壁のペンキが白く、最近塗られたものであるということが分かる。
【2016.9.19】王陵にて
葡萄棚の下が座れるようになっていたので、ザクロジュースを飲みながら、休んでいた。さきほどのアマンニサ・ハンの墓のペンキが散っている墓石にしろ、資材置き場として利用されている王陵など、管理のがさつさが気になった。そういう話を同行のK氏としていた。日本にも管理が行き届いていないため、朽ち果てた神社の建物や、雑草が伸び放題でなかば資材置き場のように利用されている廃れた寺院があることを思うと、こういったものがウイグルの人々にとっては至極日常的なもので、さほど貴重なものだとは感じられないのだろう、そういう結論を下すことにした。
【2016.9.19】アマンニサ・ハン(阿曼尼沙汗)の墓
それにしてもこのあたりは工事や改修ばかりをしている。王宮周辺もそうだったし、アマンニサ・ハンの墓もそうであるし、王陵だってペンキを新しく塗ったりした形跡があった。 ただ、それらの改修行為が文化遺産をあまり魅力的にしているようには感じられなかったのが残念だった。
◆2016年9月 ウイグル9泊10日
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