団結広場の脇を通って行く。

IMG_3769
【2016.9.21】団結広場の脇

 柵で覆われている上、中に入るためには手荷物と身体のX線検査がうけなくてはならないため、その面倒を考えるとこの広場の中を横切っていく気にはなれない。

IMG_3771【2016.9.21】子猫

 子猫がいる。二人の女の子が近づいてきて、頭をなでるなどして一通り可愛がって、去っていった。
 ところで人口の9割をウイグル族が占めるホータン(和田)ではあるが、宿泊先の周辺は漢人街であるようだった。宿泊先もまた、漢人による経営であった。

IMG_3774【2016.9.21】ホータン市内にて

 ホータン市内には地下街がある。道路を横断するには、地下街に入るとよい。

IMG_3775【2016.9.21】ホータン市内にて

 地下街の入口には、和田玉(ホータン玉)の写真が貼られている。和田玉は、崑崙山脈に発する白玉河や黑玉河、それらが合流するホータン河でとれる翡翠で、中国全土にその名を馳せていているが、質のよい玉はすでに多くが採取されてしまい、もうあまりとれないそうだ。
 カシュガルで、ある中国人観光客がこういうことを言っていたと、同行のK氏が話してくれた。
 「ホータン?何にもないよ。もう、和田玉は中国全土どこでも買えるし、ホータンで買ったからといって安いというわけではないから行く価値がないと思う」
 多くの中国人にとってホータンは、和田玉を買うところでしかないというのだ。
 地下街には、和田玉の売り場が広がっていた。このようなところで、和田玉を売っているのか。しかし、売り場の店員たちはダサい私服をきて、煙草をぷかぷかとふかしながら商売をしているので、売られている和田玉が全く高級品に見えないのだ。通風性の悪い地下街で煙草をふかしているから、空気はとてもひどい。これでは売れるものも、売れないであろう。
 また、地上へと出る。

IMG_3777【2016.9.21】団結広場を望む

 団結広場の中心には像が立っている。

IMG_3778【2016.9.21】団結広場を望む

 毛沢東と、ウイグル族の老人の像だ。 
 ここに、ウイグル人の像を単独で立たせることはできないということは、ウイグルの人々が置かれている状況を現していると思う。そして、毛沢東を大きく描写し、ウイグル人男性を小さく描写していることにもまた暗示されていることがあると思う。もっともこの像は、新疆ウイグル自治区のケリヤ(于田,ホータン地区内の県)のウイグル人で、ケリヤが人民解放軍により解放されたことへの感謝の念を共産党指導部へ伝えるため、ウルムチまでロバに乗っていき、さらには政府のはからいで北京まで飛行機に乗せてもらい、1958年6月27日に毛沢東との面会を果たしたクルバン・トゥルムというおじさんを描いているもので、毛沢東は大男で、クルバン・トゥルムは背の低い男であったから、あくまでも史実に沿っただけだと言うこともできるだろうが、あの像から感じられる印象として、ウイグル族があくまでも被支配者でしかないという印象はぬぐえない。
 なお上では「人民解放軍により解放された」と書いたが、これはあくまでも人民解放軍や中国共産党の見解であり、それはウイグルの人々が人民解放軍により制圧され、中国共産党による支配という新しい体制に組み込まれるという、ウイグル人にとっての新しい「抑圧」の始まりであるともいえる。
 このような像が立っている広場を、治安部隊が厳重警戒を敷いている。 それは一体、何を意味しているのだろうか。

2016年9月 ウイグル9泊10日
◀前の旅行記:#0514.ウイグルは子だくさん!
▶次の旅行記:#0516.ホータンに来たら絶対食べるべきホータン名物茹でカボチャ!