ホータン(和田)の郊外の景色を見ておきたいとう気持ちもあって、ヨートカン(約特干)遺跡という、ホータン市の南西11kmの地点にある遺跡へと向かうことにした。
スマートフォンのアプリ「百度地図」で位置を確認してタクシーに乗る。スマートフォンの地図をみせて、ここに行ってほしいと言うのだが、ウイグル人の運転手は、その百度地図は読むことができないとの一点張りだった。中国語は少し話せるが、漢字を読むことはできないというのだ。しかたなく、どの道路を直進し、どこの道を曲がるかということを口で説明したが、道路の中国語名を分からないという。運転手は中国語を解する知人を呼ぼうとしたが、それではタクシーが大回りになってしまうので、我々がスマートフォンのGPSを起動して、ナビゲーションをおこなうことになった。
【2016.9.21】ホータン市郊外にて
ホータン市の中心部を出て、ポプラ並木を進むが、ある程度まで進んでから「ここまでしか行けない」と運転手が言い出す。
なぜだろう。この地図が指し示している地点へと向かうだけのことがなぜできないのだろう。「どうしても行ってほしい」と説明したところ、200元(約3060円)なら片道で行くという。10kmほどにもならない距離がなぜそうなるのか。しかし、運転手にはそれを説明することができるだけの中国語能力はない。
仕方なく、ポプラ並木の途中で、タクシーを降りてしまった。
【2016.9.21】ポプラ並木にて
タクシーに乗っている時、すれちがう路線バスを目にしたから、さらに郊外へと向かう路線バスもあるに違いないと思ったからである。
【2016.9.21】売店
売店をみつける。
【2016.9.21】売店
ポプラ並木とスイカの景色。いかにも、中央アジアではないか。
売店のおじさんにバス停の位置をきいてみると、親切に道路まででてきて、バス停のある方向を指さしてくれた。地図をみせると、この道路を通るバスはこの先にある市場にまでしか行かないから、その市場でバスを乗り換えなさいということだった。ほどなく後ろからやってきたバスを止め、バスに乗り込む。
バスは検問所に到着する。新疆ウイグル自治区ホータン地区ホータン市と、ホータン地区ホータン県の境界にあたる検問のようだった。外国人である我々は、警察官からバスを下りることを求められた。パスポートを提示すると、警察官はウイグル語で誰かしらと携帯電話で連絡をおこなった。どういった内容であるかは分からなかったが、バスが我々のことを待っていたのを見るに、ここで折り返しを求められるということもなさそうだった。10分ほどしてから、バスに戻ることができた。外国人が乗車していたために、検問で10分の時間をムダにしなくてはならなくなったウイグル人の乗客には申し訳なかったが、申し訳なさそうにすると、乗客はみな「申し訳なくする必要はない。どこから来たんだ?」と笑顔で返してくれたのだった。どうやらイグルの人々はこういった、検問の類で待つことを要求されるということに慣れているようで、そのことについてストレスを感じているようすはなかった。
あの運転手は先へ進むことをなぜ拒んだのか。今思えば、ホータン市外での営業ライセンスを持っていなかったのだと思う。
それからすぐに、市場へと到着した。
【2016.9.21】市場
ホータンの北京西路を西へと進んだ、巴格其鎮というところだった。
親切なおじいさんが、我々のスマートフォンの画面をみてから、どのバスに乗ればいいか、バス停まで連れて行ってくれた。それからおじさんは、運転手に我々の行先を伝えてくれた。とても親切である。
10分ほど経過しただろうか。百度地図が指し示している場所に近づいたため、運転手にたずねたが、目的地はまだ先だという。地図をみせたところ、一転、降りればよい言い出すから、運転手もその遺跡の正確な位置をしならなかったのだと思う。
【2016.9.21】バス停
そもそもその遺跡とは、何もないのだという。漢代から宋代にかけての生活の痕跡がみつかったため、于闐国というオアシス国家の跡だとはいうが、現在は畑や果樹園でしかなく、そこに碑があるだけだそうだ。碑があるだけでは、地元の人も分からまい。記憶にあったとしても、その正確な位置までは説明できまい。
【2016.9.21】ホータン郊外にて
百度地図が指し示す地点を目指して歩いてゆく。
【2016.9.21】子どもたち
我々の存在が珍しいのか、子どもたちが一斉に外にでて「你好」と声をかけてくる。この土地は、中国にありながら、(日本人や韓国人を含む)漢人のような風貌をした人間がとても珍しいようだ。
子どもたちと一緒にいた若いお父さんに、遺跡が近くにあるか尋ねてみると、「このあたりにあると思うよ」というので、一安心する。
【2016.9.21】郊外にて
このあたりの住宅はどの家も、木製の美しい葡萄棚を持っている。
【2016.9.21】郊外にて
ウイグルの農村の暮らしを垣間見ることができて、遺跡が見つからなくても、それはそれで満足できそうだった。
【2016.9.21】郊外にて
葡萄棚は道の上にもかかっている。
ちょうどある家の前にいた青年に尋ねてみると、彼は全く中国語が分からないから、父親を連れてくるといった。父親にたずねたところ、分からないとの返事が返ってきた。さらに先へすすむと、青年2人とその父親とみられる3人が、収穫したとうもろこしを地面にひろげ、干すという作業をおこなっていた。遺跡について、スマートフォンの画面をみせてたずねると、「おそらくここにはない」との返事をした。道を引き返し、リヤカーを運転しているおじいさんにたずねてみたところ、彼もここではないという。
【2016.9.21】郊外にて
百度地図が指し示している地点に行くと、そこは農地だった。
【2016.9.21】郊外にて
動いているものと言えば、羊が草を食んでいるだけだった。ウイグル人も、百度地図も正確な位置を示すことはできなかった。
引き返すことにした。遺跡にはたどりつけなかったけれども、ウイグルの田園風景に触れたことは非常に貴重な体験だったと思う。
ところで、ひとつ、排除できない可能性があった。それは、この遺跡の名前を我々がウイグル語で把握せず、中国語名で発音していたために、ミスコミュニケーションが生じていたのではないかという可能性である。ちょうどその時、ヨートカン遺跡にある石碑の画像をスマートフォンで検索し、表示させることに成功した。そこには、ウイグル語の表記があった。その表記を農村の人に、見せてみた。そうすると、我々の道探しを手伝おうと集まった数人のおじさんたちのうちの1人がその場所を知っていると、紙に書いて示してくれた。
この地点からは、4kmほど戻ってから、右折して3kmほど行ったところだという。流しのタクシーを拾えそうもなかったし、歩いていては日が暮れそうだったから、これを成果とすることにした。
この遺跡に行くには、自分の足で探すというよりは、ツアーに参加するか、観光客の案内を専門としているホテルの職員にこの遺跡の場所を確実に知っているタクシードライバーを斡旋してもらうのが、無難だと言えよう。百度地図や、Google Mapを過信してはならない。
【2016.9.21】巴格其鎮の市場にて
ホータン市内に戻るともう、真っ暗だった。
旅行は、たとえ目的地にたどりつけなくても、代わりに別のことを体験できるのだから、それはそれでいいのだ。
◆2016年9月 ウイグル9泊10日
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スマートフォンのアプリ「百度地図」で位置を確認してタクシーに乗る。スマートフォンの地図をみせて、ここに行ってほしいと言うのだが、ウイグル人の運転手は、その百度地図は読むことができないとの一点張りだった。中国語は少し話せるが、漢字を読むことはできないというのだ。しかたなく、どの道路を直進し、どこの道を曲がるかということを口で説明したが、道路の中国語名を分からないという。運転手は中国語を解する知人を呼ぼうとしたが、それではタクシーが大回りになってしまうので、我々がスマートフォンのGPSを起動して、ナビゲーションをおこなうことになった。
【2016.9.21】ホータン市郊外にて
ホータン市の中心部を出て、ポプラ並木を進むが、ある程度まで進んでから「ここまでしか行けない」と運転手が言い出す。
なぜだろう。この地図が指し示している地点へと向かうだけのことがなぜできないのだろう。「どうしても行ってほしい」と説明したところ、200元(約3060円)なら片道で行くという。10kmほどにもならない距離がなぜそうなるのか。しかし、運転手にはそれを説明することができるだけの中国語能力はない。
仕方なく、ポプラ並木の途中で、タクシーを降りてしまった。
【2016.9.21】ポプラ並木にて
タクシーに乗っている時、すれちがう路線バスを目にしたから、さらに郊外へと向かう路線バスもあるに違いないと思ったからである。
【2016.9.21】売店
売店をみつける。
【2016.9.21】売店
ポプラ並木とスイカの景色。いかにも、中央アジアではないか。
売店のおじさんにバス停の位置をきいてみると、親切に道路まででてきて、バス停のある方向を指さしてくれた。地図をみせると、この道路を通るバスはこの先にある市場にまでしか行かないから、その市場でバスを乗り換えなさいということだった。ほどなく後ろからやってきたバスを止め、バスに乗り込む。
バスは検問所に到着する。新疆ウイグル自治区ホータン地区ホータン市と、ホータン地区ホータン県の境界にあたる検問のようだった。外国人である我々は、警察官からバスを下りることを求められた。パスポートを提示すると、警察官はウイグル語で誰かしらと携帯電話で連絡をおこなった。どういった内容であるかは分からなかったが、バスが我々のことを待っていたのを見るに、ここで折り返しを求められるということもなさそうだった。10分ほどしてから、バスに戻ることができた。外国人が乗車していたために、検問で10分の時間をムダにしなくてはならなくなったウイグル人の乗客には申し訳なかったが、申し訳なさそうにすると、乗客はみな「申し訳なくする必要はない。どこから来たんだ?」と笑顔で返してくれたのだった。どうやらイグルの人々はこういった、検問の類で待つことを要求されるということに慣れているようで、そのことについてストレスを感じているようすはなかった。
あの運転手は先へ進むことをなぜ拒んだのか。今思えば、ホータン市外での営業ライセンスを持っていなかったのだと思う。
それからすぐに、市場へと到着した。
【2016.9.21】市場
ホータンの北京西路を西へと進んだ、巴格其鎮というところだった。
親切なおじいさんが、我々のスマートフォンの画面をみてから、どのバスに乗ればいいか、バス停まで連れて行ってくれた。それからおじさんは、運転手に我々の行先を伝えてくれた。とても親切である。
10分ほど経過しただろうか。百度地図が指し示している場所に近づいたため、運転手にたずねたが、目的地はまだ先だという。地図をみせたところ、一転、降りればよい言い出すから、運転手もその遺跡の正確な位置をしならなかったのだと思う。
【2016.9.21】バス停
そもそもその遺跡とは、何もないのだという。漢代から宋代にかけての生活の痕跡がみつかったため、于闐国というオアシス国家の跡だとはいうが、現在は畑や果樹園でしかなく、そこに碑があるだけだそうだ。碑があるだけでは、地元の人も分からまい。記憶にあったとしても、その正確な位置までは説明できまい。
【2016.9.21】ホータン郊外にて
百度地図が指し示す地点を目指して歩いてゆく。
【2016.9.21】子どもたち
我々の存在が珍しいのか、子どもたちが一斉に外にでて「你好」と声をかけてくる。この土地は、中国にありながら、(日本人や韓国人を含む)漢人のような風貌をした人間がとても珍しいようだ。
子どもたちと一緒にいた若いお父さんに、遺跡が近くにあるか尋ねてみると、「このあたりにあると思うよ」というので、一安心する。
【2016.9.21】郊外にて
このあたりの住宅はどの家も、木製の美しい葡萄棚を持っている。
【2016.9.21】郊外にて
ウイグルの農村の暮らしを垣間見ることができて、遺跡が見つからなくても、それはそれで満足できそうだった。
【2016.9.21】郊外にて
葡萄棚は道の上にもかかっている。
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【2016.9.21】郊外にて
百度地図が指し示している地点に行くと、そこは農地だった。
【2016.9.21】郊外にて
動いているものと言えば、羊が草を食んでいるだけだった。ウイグル人も、百度地図も正確な位置を示すことはできなかった。
引き返すことにした。遺跡にはたどりつけなかったけれども、ウイグルの田園風景に触れたことは非常に貴重な体験だったと思う。
ところで、ひとつ、排除できない可能性があった。それは、この遺跡の名前を我々がウイグル語で把握せず、中国語名で発音していたために、ミスコミュニケーションが生じていたのではないかという可能性である。ちょうどその時、ヨートカン遺跡にある石碑の画像をスマートフォンで検索し、表示させることに成功した。そこには、ウイグル語の表記があった。その表記を農村の人に、見せてみた。そうすると、我々の道探しを手伝おうと集まった数人のおじさんたちのうちの1人がその場所を知っていると、紙に書いて示してくれた。
この地点からは、4kmほど戻ってから、右折して3kmほど行ったところだという。流しのタクシーを拾えそうもなかったし、歩いていては日が暮れそうだったから、これを成果とすることにした。
この遺跡に行くには、自分の足で探すというよりは、ツアーに参加するか、観光客の案内を専門としているホテルの職員にこの遺跡の場所を確実に知っているタクシードライバーを斡旋してもらうのが、無難だと言えよう。百度地図や、Google Mapを過信してはならない。
【2016.9.21】巴格其鎮の市場にて
ホータン市内に戻るともう、真っ暗だった。
旅行は、たとえ目的地にたどりつけなくても、代わりに別のことを体験できるのだから、それはそれでいいのだ。
◆2016年9月 ウイグル9泊10日
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