サマルカンドの街へと繰り出す。
【2014.7.16】サマルカンド旧市街地
「ホジャ・ニスバッドル・モスク(Khodja Nisbatdor mosque)」というモスクがあった。
【2014.7.16】ホジャ・ニスバッドル・モスク(Khodja Nisbatdor mosque)
ここがそのモスクだ。木造のモスクで、柱や天井の木の造形と色彩が美しいモスクだった。それには、中国建築の様式が色濃く表れていたと思う。(残念ながらその写真は撮影していなかった。)
ちょうど入り口で本を読んでいる少年がいて、入っていいかと聞いたところ、どうぞと中をみせてくれた。あまり広いモスクではなかったが、それでも内側では200人が、外では150人が集まってお祈りできるようになっているという。なかなかの人密度なんだろう。
モスク自体は19世紀に建てられたというが、宗教が否定されたソビエト時代にはこのモスクも閉鎖され、建物は郵便局として利用されていたという。ウズベキスタンとして独立後、モスクとしての機能を復元されたという。ソビエト崩壊後に旧ソ連諸国で起こった宗教復興の動きをみることができる。
モスクを後にする。
【2014.7.16】ウズベキスタンの女性のファッション
ウズベキスタンの女性のファッションはみな、おしゃれだと思う。ひとつひとつみな美しい。
【2014.7.16】おじさん
おじさんが僕たちに「日本人か韓国人か」と尋ね、挨拶をしてくれた。「日本人。」と答えると、ロシア語で「ハラショー(いいね)。」といってくれた。僕たちがカメラを持っていたためか、写してくれサインをする。笑うと、金歯が光った。自慢の金歯だというばかりに。
僕らはウズベク語もロシア語もできなかった。そのため、コミュニケーションの幅は限られた。それが残念でたまらなかった。世界を旅する旅行者のブログや旅行記をみてみると、「言葉こそ通じなくても、通じ合える」だとか「言葉が通じないからこそ、分かり合えるなにかがある」という文言がみられるけれども、僕はどちらかというと「言葉が通じないから、知れたはずのことも知ることができない」という無力感の方を強く感じる方である。僕の韓国語だって、相手のことをもっと知りたいだとか、相手にもっと知られたいという渇望が、僕を学習に仕向けさせた結果なのだから。だからといって、ひとりの人間がこの地球の全てのことを知ることなんて不可能だ。仕方ないのだろう。
◆2014年 夏ウズベキスタン7泊8日
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【2014.7.16】サマルカンド旧市街地
「ホジャ・ニスバッドル・モスク(Khodja Nisbatdor mosque)」というモスクがあった。
【2014.7.16】ホジャ・ニスバッドル・モスク(Khodja Nisbatdor mosque)
ここがそのモスクだ。木造のモスクで、柱や天井の木の造形と色彩が美しいモスクだった。それには、中国建築の様式が色濃く表れていたと思う。(残念ながらその写真は撮影していなかった。)
ちょうど入り口で本を読んでいる少年がいて、入っていいかと聞いたところ、どうぞと中をみせてくれた。あまり広いモスクではなかったが、それでも内側では200人が、外では150人が集まってお祈りできるようになっているという。なかなかの人密度なんだろう。
モスク自体は19世紀に建てられたというが、宗教が否定されたソビエト時代にはこのモスクも閉鎖され、建物は郵便局として利用されていたという。ウズベキスタンとして独立後、モスクとしての機能を復元されたという。ソビエト崩壊後に旧ソ連諸国で起こった宗教復興の動きをみることができる。
モスクを後にする。
【2014.7.16】ウズベキスタンの女性のファッション
ウズベキスタンの女性のファッションはみな、おしゃれだと思う。ひとつひとつみな美しい。
【2014.7.16】おじさん
おじさんが僕たちに「日本人か韓国人か」と尋ね、挨拶をしてくれた。「日本人。」と答えると、ロシア語で「ハラショー(いいね)。」といってくれた。僕たちがカメラを持っていたためか、写してくれサインをする。笑うと、金歯が光った。自慢の金歯だというばかりに。
僕らはウズベク語もロシア語もできなかった。そのため、コミュニケーションの幅は限られた。それが残念でたまらなかった。世界を旅する旅行者のブログや旅行記をみてみると、「言葉こそ通じなくても、通じ合える」だとか「言葉が通じないからこそ、分かり合えるなにかがある」という文言がみられるけれども、僕はどちらかというと「言葉が通じないから、知れたはずのことも知ることができない」という無力感の方を強く感じる方である。僕の韓国語だって、相手のことをもっと知りたいだとか、相手にもっと知られたいという渇望が、僕を学習に仕向けさせた結果なのだから。だからといって、ひとりの人間がこの地球の全てのことを知ることなんて不可能だ。仕方ないのだろう。
◆2014年 夏ウズベキスタン7泊8日
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