シャーヒジンダ霊廟群(Shah-i-Zinda Ensemble)へと向かった。ティムール朝の関係者の墓であり、霊廟である。14世紀から15世紀にかけて建設された。
 特定の人物を祀る「霊廟」というものは偶像崇拝になり得るため、イスラム教世界ではあまり一般的ではないというが、レギスタンのライオンの絵と同様、ウズベキスタンにおけるイスラム教は融通性が高く、原理主義的ではないということが分かる。

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 北東へと進む。

IMG_4974【2014.7.16】シャーヒジンダ霊廟群入口

 木槿(むくげ)の花が咲いている。木槿といえば、日本の夏を彩る花である。中国原産の花で、日本には奈良時代に伝来したという。サマルカンドの木槿もやはり、中国からやってきたのだろうか。サマルカンドの街には、たくさんの木槿の花が咲いていた。散っても散っても新しいつぼみが作られ、夏の間、花を咲かし続ける。果てることのない生命力を象徴するものとして愛されてきたのだろう。

IMG_4979【2014.7.16】シャーヒジンダ霊廟群入口

 ここが入口である。多くの旅行者、参拝者が門の前で写真を撮っていたが、日差しも強いし、あまりにも暑いので、用が済んだらそそくさと退散していた。

IMG_5002【2014.7.16】シャーヒジンダ霊廟群

 階段を上っていくと、二つ目の入口が見える。

IMG_5017【2014.7.16】シャーヒジンダ霊廟群

 階段を上って、振り返ってみる。そして、二つ目の入口を抜けると・・・。

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【2014.7.16】シャーヒジンダ霊廟群

 そこには想像だにしなかった、美しい世界が広がっていた。
 全くの別世界。うまく「聖域」を表現していると思う。

IMG_5018【2014.7.16】シャーヒジンダ霊廟群

 左にいるおじさんが何かを暗唱していた。みな、その言葉に耳を傾けて、お祈りをしていたから、僕たちも真似た。お祈りを終えると、みな、そのおじさんにお布施をしていたから、僕たちもいくらか差し出したところ、おじさんは英語で僕たちに「日本人か、韓国人か」と尋ねてきた。日本だと答えるとおじさんは、「Tokyo? Osaka? Nagoya? Fukuoka? Sapporo?」と、日本の地名を羅列してきた。東京と大阪ならまだしも、名古屋、福岡、札幌を知っているとは、何でだろう。「東京!」と答えたところ、「My son is working in Kamata.」という。そしておじさんは、息子に会いに日本にも旅行に行ったことがあるそうだ。
 それにしても俗っぽい響きのある「蒲田」という地名をこのようなところで耳にするとは。僕の住んでいるところから環状八号線で南下すれば着く。いくら聖域といっても、やはりここは地球の上なのである。なお、今、親戚が日本で働いているという話は、ウズベキスタン旅行の間、この人から聞いたものが唯一であった。

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【2014.7.16】シャーヒジンダ霊廟群

 イスラム教圏ではあるがウズベキスタンは全般的に服装について厳しくない。観光地のモスクや聖廟でも、ノースリーブや膝下のみえる半ズボンを着用している人が多くみられた。

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【2014.7.16】シャーヒジンダ霊廟群

 女性たちの着ている服が、あまりにも風景と調和している。

IMG_5115【2014.7.16】シャーヒジンダ霊廟群

 サマルカンドが「青の都」という異名を持っていることも頷ける。遠くから眺めても美しいし、近づいてタイルをじっとみていてもまた、飽きることがない。 

2014年 夏ウズベキスタン7泊8日
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