バンコクにある、タイ王室の寺院であるワット・プラケオにはエメラルド仏が安置されている。しかし、このエメラルド仏がバンコクにやってきたのは1779年のことであり、それまでは、各地を転々としていた。
(参考 : #0412.チェンラーイにもワット・プラケオ(วัดพระแก้ว)がある!)
もともと、インド東部で作られ、スリランカやタイ、カンボジアを移動し、現在のタイのチェンラーイに隠され、1434年に再発見されてから、1468年にはチャンマイ、1551年にルアンパバーン、1564年にはビエンチャンへと移動させられた。それから、1779年に略奪されるまで215年間、ヴィエンチャンに置かれたのである。
【2016.12.23】ワット・ホーパケオ
ワット・ホーパケオ(ຫໍພະແກ້ວ)はヴィエンチャンにおいてエメラルド仏が置かれていた、寺院である。ただしこの寺院は、エメラルド仏が略奪された当時に壊されてしまったため、建物は当時のものではない。1816年に再建されたが、1828年にまた破壊されてしまう。それから、フランス植民地時代の1936年から1942年に渡って再建工事がおこなわれる。しかし、この再建はかつての意匠とは異なり、19世紀のタイ(バンコク)の様式で建てられてしまった。
入場料は5000kip(約72円)だ。
【2016.12.23】ワット・ホーパケオ
ラオス語のパケオ(ພະແກ້ວ)というのは、タイ語のプラケオ(พระแก้ว)と同義でエメラルド仏を示す。
【2016.12.23】ワット・ホーパケオ(ຫໍພະແກ້ວ)にて
今まで、バンコクのワット・プラケオを訪ねたし、チェンラーイのワット・プラケオも訪ねたから、エメラルド仏のたどった道は大分、回ったということになる。
そういえば、エメラルド仏はルアンパバーンではどこに安置されていたのだろう。それは15年間という短い期間ではあったのだが。
【2016.12.23】ワット・ホーパケオ(ຫໍພະແກ້ວ)にて
現在は仏教寺院というよりは、博物館として利用されている。
【2016.12.23】ワット・ホーパケオ(ຫໍພະແກ້ວ)にて
ちなみに、建物内は撮影禁止である。
タイとラオスは今でこそ、異なる国ではあるが、エメラルド仏の歴史が示唆してくれるように、多くの歴史を共有している。
【2016.12.23】モスク
途中、モスクを見つける。
【2016.12.23】モスク
中には、中東系の男性が集まっていた。
隣国タイはその人口の4%~5%ほどがイスラム教徒とされるが、ラオスでは人口の0.01%(約700人)しか存在しないとされる。このモスクは彼らと、隣国や中東からやってきたイスラム教徒のコミュニティの場となっているのだろう。
【2016.12.23】タピオカミルクティー
一杯、10000kip(約144円)のタピオカミルクティーを飲みながら、宿へと戻る。「chamichi」という日本を想起させる店名ではあるが、日本にはタピオカミルクティーなんかない(笑)
【2016.12.23】蓮の花
宿で荷物をうけとり、タラート・サオ付近にある、タイのウドンターニー(อุดรธานี)行きのバスが発着するバスターミナルへと向かう。
【2016.12.23】バス
韓国語が書かれているバスを見つける。
調べてみると、チョンサン語学院(정상어학원)が所有するバスで、もともと韓国国内で英語を学ぶ塾通いの小中学生たちを送迎するのに使われていたバスのようである。今はなぜか、ラオスにいる。
(参考 : #0412.チェンラーイにもワット・プラケオ(วัดพระแก้ว)がある!)
もともと、インド東部で作られ、スリランカやタイ、カンボジアを移動し、現在のタイのチェンラーイに隠され、1434年に再発見されてから、1468年にはチャンマイ、1551年にルアンパバーン、1564年にはビエンチャンへと移動させられた。それから、1779年に略奪されるまで215年間、ヴィエンチャンに置かれたのである。
【2016.12.23】ワット・ホーパケオ
ワット・ホーパケオ(ຫໍພະແກ້ວ)はヴィエンチャンにおいてエメラルド仏が置かれていた、寺院である。ただしこの寺院は、エメラルド仏が略奪された当時に壊されてしまったため、建物は当時のものではない。1816年に再建されたが、1828年にまた破壊されてしまう。それから、フランス植民地時代の1936年から1942年に渡って再建工事がおこなわれる。しかし、この再建はかつての意匠とは異なり、19世紀のタイ(バンコク)の様式で建てられてしまった。
入場料は5000kip(約72円)だ。
【2016.12.23】ワット・ホーパケオ
ラオス語のパケオ(ພະແກ້ວ)というのは、タイ語のプラケオ(พระแก้ว)と同義でエメラルド仏を示す。
【2016.12.23】ワット・ホーパケオ(ຫໍພະແກ້ວ)にて
今まで、バンコクのワット・プラケオを訪ねたし、チェンラーイのワット・プラケオも訪ねたから、エメラルド仏のたどった道は大分、回ったということになる。
そういえば、エメラルド仏はルアンパバーンではどこに安置されていたのだろう。それは15年間という短い期間ではあったのだが。
【2016.12.23】ワット・ホーパケオ(ຫໍພະແກ້ວ)にて
現在は仏教寺院というよりは、博物館として利用されている。
【2016.12.23】ワット・ホーパケオ(ຫໍພະແກ້ວ)にて
ちなみに、建物内は撮影禁止である。
タイとラオスは今でこそ、異なる国ではあるが、エメラルド仏の歴史が示唆してくれるように、多くの歴史を共有している。
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ヴィエンチャンの見どころも大体、見終わったので、国境を越え、タイへと向かうことにした。まず、宿に預けた荷物を引き取りに、宿へと向かう。
ヴィエンチャンの見どころも大体、見終わったので、国境を越え、タイへと向かうことにした。まず、宿に預けた荷物を引き取りに、宿へと向かう。
【2016.12.23】モスク
途中、モスクを見つける。
【2016.12.23】モスク
中には、中東系の男性が集まっていた。
隣国タイはその人口の4%~5%ほどがイスラム教徒とされるが、ラオスでは人口の0.01%(約700人)しか存在しないとされる。このモスクは彼らと、隣国や中東からやってきたイスラム教徒のコミュニティの場となっているのだろう。
【2016.12.23】タピオカミルクティー
一杯、10000kip(約144円)のタピオカミルクティーを飲みながら、宿へと戻る。「chamichi」という日本を想起させる店名ではあるが、日本にはタピオカミルクティーなんかない(笑)
【2016.12.23】蓮の花
宿で荷物をうけとり、タラート・サオ付近にある、タイのウドンターニー(อุดรธานี)行きのバスが発着するバスターミナルへと向かう。
【2016.12.23】バス
韓国語が書かれているバスを見つける。
調べてみると、チョンサン語学院(정상어학원)が所有するバスで、もともと韓国国内で英語を学ぶ塾通いの小中学生たちを送迎するのに使われていたバスのようである。今はなぜか、ラオスにいる。