広州地下鉄6号線「一徳路」駅のB出口を出る。
【2017.1.24】一徳路駅周辺
地下鉄の駅の前から、ごちゃごちゃとした街並みが広がっている。
【2017.1.24】煲仔飯
煲仔飯(ボウチャイファン)をひっきりなしに、作っている。中国南部で、土鍋ごはんのことを「煲仔飯」という。以前、香港では食べたけれども、広州では結局、食べはしなかった。
(参考 : #0041.油麻地「四季煲仔飯」 - 心あたたまる香港の土鍋飯)
【2017.1.24】一徳路駅周辺
奥へと進んでいく。
【2017.1.24】ガジュマルの並木道
ガジュマルの並木道の、木陰の中を進んでいく。
【2017.1.24】石室天主堂
石室天主堂(Sacred Heart Cathedral)が現れる。1863年に着工し、1888年に竣工するという、25年もの年月をかけられて作られた建物で、花崗岩を積み立てて作られたことから、中国語では「石室」の名が付けられている。アヘン戦争によって占領された土地に、フランス人によって建てられたもので、今でこそ観光地として賑わい、文化財として保護されてはいるものの、この教会が建った経緯というものは、あまり歓迎されたものではない。
【2017.1.24】学校
敷地には、学校もある。
やはり広州では、繁体字を多く見かける。
なおこの日、訪問した時間が、開放時間ではなかったため、参観ができなかった。
■石室聖心大聖堂(石室天主堂)
住所 : 一德路旧部前56-7号
開放時間 : 午前8時半~午前11時半, 午後2時半~午後5時半(平日), 午前8時半~午後5時(休日)
【2017.1.24】石室周辺
石室周辺を歩く。たくさんの学生たちが、学校に出入りしていた。
またもや、繁体字の広告を見つける。
広州から、世界各国に荷物を送るそうだが、タイへは「陸運」も可能だそうだ。広州から、広西チワン族自治区、ベトナム、ラオスを経由してタイへと向かうのだろうか。
【2017.1.24】広州にて
コロニカル様式の建築が、広がっている。
【2017.1.24】広州にて
小さなかつ膨大な路地をめぐり歩いてみるのも、大きな通り沿いのコロニカルな建築を眺めているのも楽しいのが、広州だ。
【2017.1.24】広州にて
道を歩いていると、工事現場の仮囲みに、1940年頃の広州のようすが展示されていた。
その写真をよくみてみると、「佐藤時計店」、「富士屋」だなんて書いてあって、そこに日本資本も流入していたということが分かる。
【2017.1.24】広州にて
その当時からあっただろう、コロニカル建築は、これからも広州の街に残るのだろうか。
【2017.1.24】広州にて
コロニカル建築のすぐ後ろに、コロニカル建築が途切れ、大きな建物が立ち並んでいるようすをみると、近いうちに再開発されるのではという懸念も頭によぎる。
【2017.1.24】広州にて
この魅力的な街並みが、いつまでも残ってくれたらと思うのだが。
【2017.1.24】一徳路駅周辺
地下鉄の駅の前から、ごちゃごちゃとした街並みが広がっている。
【2017.1.24】煲仔飯
煲仔飯(ボウチャイファン)をひっきりなしに、作っている。中国南部で、土鍋ごはんのことを「煲仔飯」という。以前、香港では食べたけれども、広州では結局、食べはしなかった。
(参考 : #0041.油麻地「四季煲仔飯」 - 心あたたまる香港の土鍋飯)
【2017.1.24】一徳路駅周辺
奥へと進んでいく。
【2017.1.24】ガジュマルの並木道
ガジュマルの並木道の、木陰の中を進んでいく。
【2017.1.24】石室天主堂
石室天主堂(Sacred Heart Cathedral)が現れる。1863年に着工し、1888年に竣工するという、25年もの年月をかけられて作られた建物で、花崗岩を積み立てて作られたことから、中国語では「石室」の名が付けられている。アヘン戦争によって占領された土地に、フランス人によって建てられたもので、今でこそ観光地として賑わい、文化財として保護されてはいるものの、この教会が建った経緯というものは、あまり歓迎されたものではない。
【2017.1.24】学校
敷地には、学校もある。
やはり広州では、繁体字を多く見かける。
なおこの日、訪問した時間が、開放時間ではなかったため、参観ができなかった。
■石室聖心大聖堂(石室天主堂)
住所 : 一德路旧部前56-7号
開放時間 : 午前8時半~午前11時半, 午後2時半~午後5時半(平日), 午前8時半~午後5時(休日)
【2017.1.24】石室周辺
石室周辺を歩く。たくさんの学生たちが、学校に出入りしていた。
またもや、繁体字の広告を見つける。
広州から、世界各国に荷物を送るそうだが、タイへは「陸運」も可能だそうだ。広州から、広西チワン族自治区、ベトナム、ラオスを経由してタイへと向かうのだろうか。
【2017.1.24】広州にて
コロニカル様式の建築が、広がっている。
【2017.1.24】広州にて
小さなかつ膨大な路地をめぐり歩いてみるのも、大きな通り沿いのコロニカルな建築を眺めているのも楽しいのが、広州だ。
【2017.1.24】広州にて
道を歩いていると、工事現場の仮囲みに、1940年頃の広州のようすが展示されていた。
その写真をよくみてみると、「佐藤時計店」、「富士屋」だなんて書いてあって、そこに日本資本も流入していたということが分かる。
【2017.1.24】広州にて
その当時からあっただろう、コロニカル建築は、これからも広州の街に残るのだろうか。
【2017.1.24】広州にて
コロニカル建築のすぐ後ろに、コロニカル建築が途切れ、大きな建物が立ち並んでいるようすをみると、近いうちに再開発されるのではという懸念も頭によぎる。
【2017.1.24】広州にて
この魅力的な街並みが、いつまでも残ってくれたらと思うのだが。