2017年4月13日。ついに東京を離れ、バンコクへと向かう日がやってきた。2012年3月26日からの韓国・ソウル生活に次ぐ、第二の海外生活が幕を開けるのである。
3月下旬頃には「早くタイに行ってしまいたい」と思っていたのだけれども、4月になって桜が満開になり、東京を離れるからと毎日のように友人・知人に会っていると、なんだか名残惜しくなってしまった。しかし、もう決めたことだから、後戻りはしない。東京から飛行機に乗れば、6時間と少しで到着してしまうところだ。夜行バスで東京から大阪へ向かうのと変わらないか、それよりも短いではないか。ただ、隣町に移るだけなのだ。何も、永遠の別れではないのだと自分に言い聞かせた。
バンコクへと向かう航空券は、17500マイルで交換したJALの特典航空券だ。4月13日から4月15日にかけてがタイでソンクラーンという新年の休日にあたるため旅行客が多いためか、いずれの航空会社を利用しても安い価格の航空券が手に入りそうにもなかったから、マイレージと交換することができたのは幸運だった。また、一般的に片道航空券は往復航空券よりも高くなるが、マイレージと交換すると片道航空券は往復航空券のちょうど半分のマイレージで手に入れられることから、それも都合がよかった。
しかし、燃油価格の上昇のため、マイレージのほかに、燃油サーチャージを別途5010円分、支払わなくてはならなかったため、それはなんだか、損をしたような感じがした。
なお特典航空券を予約しようとした時には、東京(羽田)およびバンコクの直行便はすでに予約がいっぱいに入っていて、羽田空港から国内線で関西国際空港へと向かい、そこからバンコクへと乗り継ぐ経由便を利用することになった。
あまりにも体調が悪かったため、何も考えられなかった。東京を離れるということに対して、何も考えられなかったことは、むしろ、よかったと思う。余計な感情の波に、揉まれたくはなかった。
関西空港に無事に到着し、ピカチュウと記念撮影をする。
しかし、これだけの高熱が出ているのに、いくらマスクをしているとはいえ密閉空間である航空機に搭乗してもよいものなのだろうか。周囲の人には本当に、申し訳ないことをしたと思う。
【2017.4.13】関西国際空港にて
解熱剤を飲んでいたにも関わらず、体温計で体温を計ったら、依然として38度を超えていた。
【2017.4.13】すき家
それでも何も食べなければ、解熱剤も飲めないから、関西国際空港内の24時間営業のすき家でお腹をみたし、解熱剤を飲んだ。
それから、バンコク行きの航空機に乗りこむ。
【2017.4.13】関西国際空港にて
機材がボーイング787で、機内の湿度が25%ほどと従来の航空機よりもずっと湿度が高く保たれていたから、これは病の身には幸いだった。一般の航空機だったら、機内の湿度は10%ほどにしかならないというから、ボーイング787でなかったら、病の症状はより深刻になっていたに違いない。
バンコク到着前、機内で体温計で体温を計ったら、38.9度まで上がっていた。もしかしたら空港の検疫所で、入国を阻止されるのではないかという懸念もあったが、幸い、早朝に到着したためか、サーモグラフィ―で入国者の体温をチェックしている検疫官はいなかった。伝染病が疑われる人物を入国させず安全が確認されるまで、隔離するということは一般的に、多くの国でおこなわれている。
それにしてもバンコクは蒸し暑い。気温が10度前後のところから、気温が30度近くなるところへといきなり放り出されたため、体がどうにかなりそうだったが、気力で耐えるしかなかった。
空港で、これから働くことになる会社のボスと落ち合い、バンコク市内へと自動車で移動し、会社の方で目星をつけておいてくれた物件の賃貸契約書にサインをし、保証金となる家賃2か月分の現金と4月14日から4月30日までの家賃を支払い、部屋へと入った。日本から、薄い布団を持ってきておいたのは幸いだった。物件にはベッドが備え付けてある。冷房をつけ、ベッドに横たわり布団にくるまって、爆睡した。
とんでもないバンコク生活の始まりだった。
3月下旬頃には「早くタイに行ってしまいたい」と思っていたのだけれども、4月になって桜が満開になり、東京を離れるからと毎日のように友人・知人に会っていると、なんだか名残惜しくなってしまった。しかし、もう決めたことだから、後戻りはしない。東京から飛行機に乗れば、6時間と少しで到着してしまうところだ。夜行バスで東京から大阪へ向かうのと変わらないか、それよりも短いではないか。ただ、隣町に移るだけなのだ。何も、永遠の別れではないのだと自分に言い聞かせた。
バンコクへと向かう航空券は、17500マイルで交換したJALの特典航空券だ。4月13日から4月15日にかけてがタイでソンクラーンという新年の休日にあたるため旅行客が多いためか、いずれの航空会社を利用しても安い価格の航空券が手に入りそうにもなかったから、マイレージと交換することができたのは幸運だった。また、一般的に片道航空券は往復航空券よりも高くなるが、マイレージと交換すると片道航空券は往復航空券のちょうど半分のマイレージで手に入れられることから、それも都合がよかった。
しかし、燃油価格の上昇のため、マイレージのほかに、燃油サーチャージを別途5010円分、支払わなくてはならなかったため、それはなんだか、損をしたような感じがした。
なお特典航空券を予約しようとした時には、東京(羽田)およびバンコクの直行便はすでに予約がいっぱいに入っていて、羽田空港から国内線で関西国際空港へと向かい、そこからバンコクへと乗り継ぐ経由便を利用することになった。
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ところで出発する日になって、高熱が出てしまった。出発する二日前に、4月であるにも関わらず、昼間の気温が8度ほどで雨が降るという、そういう天気の日があって、体調を崩していた。それでも、喉が痛むくらいだから大丈夫だろうと思っていたのだが、それが単なる風邪のひき始めでしかなく、13日になってから38.4度の高熱がでるようになった。
しかし、もう航空券の日付は変えられなかったし、4月17日からはバンコクで仕事を始めなくてはならなかったから、体温計と解熱剤をもって強引に空港へと向かった。20kg以上の荷物を体に身につけて移動することは、容易ではなかった。それでも、羽田空港にたどりついて、関西空港行きの国内線の搭乗することができた。
4月13日 日本航空JL229便 羽田 21:05 → 関西 22:20
4月14日 日本航空JL727便 関西 0:45 → バンコク(スワンナプーム) 4:40
ところで出発する日になって、高熱が出てしまった。出発する二日前に、4月であるにも関わらず、昼間の気温が8度ほどで雨が降るという、そういう天気の日があって、体調を崩していた。それでも、喉が痛むくらいだから大丈夫だろうと思っていたのだが、それが単なる風邪のひき始めでしかなく、13日になってから38.4度の高熱がでるようになった。
しかし、もう航空券の日付は変えられなかったし、4月17日からはバンコクで仕事を始めなくてはならなかったから、体温計と解熱剤をもって強引に空港へと向かった。20kg以上の荷物を体に身につけて移動することは、容易ではなかった。それでも、羽田空港にたどりついて、関西空港行きの国内線の搭乗することができた。
4月13日 日本航空JL229便 羽田 21:05 → 関西 22:20
4月14日 日本航空JL727便 関西 0:45 → バンコク(スワンナプーム) 4:40
あまりにも体調が悪かったため、何も考えられなかった。東京を離れるということに対して、何も考えられなかったことは、むしろ、よかったと思う。余計な感情の波に、揉まれたくはなかった。
関西空港に無事に到着し、ピカチュウと記念撮影をする。
しかし、これだけの高熱が出ているのに、いくらマスクをしているとはいえ密閉空間である航空機に搭乗してもよいものなのだろうか。周囲の人には本当に、申し訳ないことをしたと思う。
【2017.4.13】関西国際空港にて
解熱剤を飲んでいたにも関わらず、体温計で体温を計ったら、依然として38度を超えていた。
【2017.4.13】すき家
それでも何も食べなければ、解熱剤も飲めないから、関西国際空港内の24時間営業のすき家でお腹をみたし、解熱剤を飲んだ。
それから、バンコク行きの航空機に乗りこむ。
【2017.4.13】関西国際空港にて
機材がボーイング787で、機内の湿度が25%ほどと従来の航空機よりもずっと湿度が高く保たれていたから、これは病の身には幸いだった。一般の航空機だったら、機内の湿度は10%ほどにしかならないというから、ボーイング787でなかったら、病の症状はより深刻になっていたに違いない。
バンコク到着前、機内で体温計で体温を計ったら、38.9度まで上がっていた。もしかしたら空港の検疫所で、入国を阻止されるのではないかという懸念もあったが、幸い、早朝に到着したためか、サーモグラフィ―で入国者の体温をチェックしている検疫官はいなかった。伝染病が疑われる人物を入国させず安全が確認されるまで、隔離するということは一般的に、多くの国でおこなわれている。
それにしてもバンコクは蒸し暑い。気温が10度前後のところから、気温が30度近くなるところへといきなり放り出されたため、体がどうにかなりそうだったが、気力で耐えるしかなかった。
空港で、これから働くことになる会社のボスと落ち合い、バンコク市内へと自動車で移動し、会社の方で目星をつけておいてくれた物件の賃貸契約書にサインをし、保証金となる家賃2か月分の現金と4月14日から4月30日までの家賃を支払い、部屋へと入った。日本から、薄い布団を持ってきておいたのは幸いだった。物件にはベッドが備え付けてある。冷房をつけ、ベッドに横たわり布団にくるまって、爆睡した。
とんでもないバンコク生活の始まりだった。