カイザー・ヴィルヘルム教会(Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche)を訪問する。

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【2017.3.15】カイザー・ヴィルヘルム教会にて

 もともと1891年に建てられた高さ113mの教会だったが、1943年のイギリスによるベルリン空襲によって破壊されたものだ。
 現在は71mの高さになっているが、それでも高い。

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【2017.3.15】カイザー・ヴィルヘルム教会にて

 もともと、初代ドイツ皇帝のヴィルヘルム1世の功績をたたえるために建てられたとい経緯がある教会だ。
 終戦後から1990年の東西ドイツ統一まで、このあたりは西ベルリンに属し、アメリカ、イギリス、フランスの支配下に置かれた。ベルリン市内が復興する中、この教会も元の形に完全復興させようという計画があったようだが、その復興は民族主義を煽りうるものとして警戒され、許可されなかったという。
 しばらく、廃墟同然の状態に置かれ放置されていたが、1961年に71mの高さを持つ旧教会堂を、戦災のシンボルとして残しつつ、新しい教会堂と礼拝堂を備えた教会として、再び、市民に開かれた。

IMG_9264【2017.3.15】カイザー・ヴィルヘルム教会にて

 戦争というものがもたらす悲劇を、後世に伝えることができるという点で、こういった復興の仕方は「正解」だったと思う。
 一方、日本はどうだろうか。たしかに広島には原爆ドームが残ってはいるが、東京はどうだろう。東京駅駅舎は、1914年、3階建ての建物として建設されたが、1945年にアメリカ軍の空襲により焼けてしまった。それを戦後、2階建ての建物として臨時的に復旧し、2007年までその状態で利用していたが、その後、なぜかもとの3階建てのすがたに復元させられてしまった。戦災復興の分かりやすいモニュメントは、消されてしまっている。

IMG_9272【2017.3.15】かつてのカイザー・ヴィルヘルム教会の模型

 歴史というものに向き合うという点において、東京よりもベルリンの方が、この一つの例だけをとっても真摯であるように思える。
 かつての東京駅だってもとのすがたに復元したかったとしても半分だけを復元して、のこり半分を戦後のすがたに残すだとか、さまざまな方法が検討されるべきだった。

IMG_9271【2017.3.15】現在のカイザー・ヴィルヘルム教会の模型

 旧教会堂には、以上のようなその教会の歴史や、空襲をうけることになった戦争の経緯、そしてその戦争のころに起こったユダヤ人への迫害について、展示があった。ユダヤ人の迫害の歴史についてはこの教会は直接的な関係は無いように思われるが、ドイツで戦争について言及される場面では、この内容も大体、いっしょに触れられる。
 次に、新しい教会堂へと入る。

IMG_9275【2017.3.15】カイザー・ヴィルヘルム教会にて

 青いステンドグラスで囲まれていて、幻想的である。

IMG_9268【2017.3.15】カイザー・ヴィルヘルム教会にて

 しばらく見とれていた。

IMG_9267【2017.3.15】カイザー・ヴィルヘルム教会にて

 あたかも、海の底にでもいるような気がした。

IMG_9273【2017.3.15】カイザー・ヴィルヘルム教会にて

 それからまた明るい、外へと出た。

■カイザー・ヴィルヘルム教会(Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche)
 入場料 : 無料
 Kurfürstendamm駅徒歩2分
 ベルリン動物園(Berlin Zoologischer Garten)駅徒歩5分
 Wittenbergplatz駅徒歩7分