バスをブランデンブルク門の近くで、降りる。

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【2017.3.15】バスを降りる

 ベルリンのゾーンABC内の郊外電車、地下鉄、バスが全て乗り降り自由になる5日乗車券を持っているから、短い距離をバスで移動するのも、はばかられない。

IMG_9391【2017.3.15】ブランデンブルク門

 ブランデンブルク門は1791年に建てられた、ベルリンのシンボルともいえる門だ。もともとベルリンに出入りする物資に関税をかけるため、ベルリンの周囲に建てられた関税壁を通過するために設けられた門だった。19世紀後半に関税壁が廃止され、同時に多くの門も撤去されたが、ブランデンブルク門だけは撤去を免れ、今日に至る。

IMG_9396【2017.3.15】パリ広場

 門の前には、パリ広場(Pariser Platz)という広場が広がっている。
 なぜベルリンにあるのにパリ広場という名がつけられているかと言えば、対フランスに対する戦いの勝利を記念して、改名されたという経緯があるからだそうだ。

IMG_9399【2017.3.15】ブランデンブルク門

 この門は、東西ベルリン、東西ドイツ分断の象徴でもあった。

IMG_9402【2017.3.15】パリ広場

 今でこそ観光客で賑わっているが、かつて、この門のすぐ西側には東西ベルリンを分かつ壁(より正確にいうならば、東ドイツが西ベルリンへの国民の逃亡を防ぐために西ベルリンを囲うように建てられた壁)が建てられていた。
 また東ドイツ側ではさらに、壁の周辺を緩衝地帯とし、パリ広場とブランデンブルク門周辺には一般的が立ち入ることはできなかった。パリ広場の周りに、新しい建物が多いのは、それらがそれももともと緩衝地帯だったところに東西ドイツ統一後に建てられたものだからである。

IMG_9403【2017.3.15】ベルリンの壁

 壁は1989年11月9日に崩壊した。

IMG_9404【2017.3.15】ベルリンの壁跡

 このあたりの壁は全て撤去され、自由に交通できるようになっているが、道路をよくみると、東西ベルリンの境界が石畳が敷かれていて、記録として残されている。
 もはや、重苦しさは無い。27年が過ぎて、過去の歴史となった。

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 次に、ドイツの国会議事堂(Reichstagsgebäude)へとやってくる。

IMG_9405【2017.3.15】国会議事堂

 ブランデンブルク門の西側、すなわち西ベルリンにある。

IMG_9412【2017.3.15】国会議事堂

 1884年から10年の年月を投じ、1894年に竣工した建物だ。

IMG_9419【2017.3.15】国会議事堂

 建てられた当時から国会議事堂として利用されたが、ヒトラーが首相になった1933年に出火、また、1943年のベルリン大空襲や1945年のベルリン市街地戦により、廃墟化した。
 それから戦後、東西ベルリンに分かれていた時代にも、部分修復は行われたものの、本格的な修復は行われなかった。それが、東西ドイツ統一後、ベルリンの首都機能を回復するにあたって、1999年に国会として再び利用されるようになったものである。

IMG_9425【2017.3.15】国会周辺にて

 国会議事堂周辺には、ベルリンには珍しく、観光客をターゲットとした詐欺まがいのことをする集団がいるから気を付けなくてはならない。「Are you Chinese?」とか言いながら、僕に近づき、アンケートと寄付を強要しようとしてきた、女たちがいた。無視していると「你是中國人嗎」だとか、中国語を話してくるから、なかなかの腕前だと思うが、僕はだんまりを決めこむ。それにしても、ヨーロッパで詐欺をおこなうためには、中国語が必修になったと思うと、時代も時代だと思う。

IMG_9432【2017.3.15】国会議事堂

 国会議事堂の一番高いところは、ガラス状のドームになっている。ナチス・ドイツの歴史を反省して、国民に開かれた透明性の高い政治をしようという、そういう決意が込められているのだと、耳にしたことがある。
 国会議事堂は、見学ができる。見学は基本的に、事前予約が必要である。(https://visite.bundestag.de/BAPWeb/pages/createBookingRequest.jsf?lang=en)
 今回は、見学することができなかったから、次回、ベルリンを訪問した際には、見学したいと思う。

IMG_9439【2017.3.15】ベルリンにて

 昼食を食べに、次の目的地へと向かうことにした。