冷たい風が吹く、一日だった。
 
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【2017.3.15】ベルリンにて

 ジャンダルメンマルクト(Gendarmenmarkt)という名の広場へとやってくる。

IMG_9536【2017.3.15】ジャンダルメンマルクトにて

 ジャンダルメンマルクトは、ベルリン・コンツェルトハウス(Konzerthaus Berlin)、フランス大聖堂(Franzoesischer Dom)、ドイツ大聖堂(Deutscher Dom)の3つの建物に囲まれている。

IMG_9544【2017.3.15】ジャンダルメンマルクトにて

 ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団が拠点を置く。建物は、1821年に建てられたもので、この広場を囲う3つの建物のうち、一番新しいものだという。もともと劇場として建てられたものだが、第二次世界大戦中に空襲を受け、破壊される。戦後、東ドイツにおいて再建される過程において、コンサートホールへと機能を変えられた。

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【2017.3.15】フランス大聖堂

 広場に立つ2対の聖堂のうちのひとつが、フランス大聖堂(あるいはフランスドーム)で、フランスから迫害を逃れてやってきた1701年から1705年の間にユグノー教徒(カルヴァン派)によって建てられたという。

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【2017.3.15】ドイツ大聖堂

 ドイツ大聖堂は1708年に、ドイツのルター派によって建てられたものだという。

IMG_9546【2017.3.15】ジャンダルメンマルクトにて

 これらの聖堂もやはり第二次世界大戦中に廃墟化し、東西ドイツ統一後に復元されたもので、現在は展望施設、レストラン、博物館として利用されている。

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 友人が、しばらく用事があるからというので、2時間ほど一人で街中を歩くことになった。

IMG_9562【2017.3.15】ベルリンにて

 ベルリンの街には、頭上のありとあらゆるところにパイプがはりめぐらされている。

IMG_9564【2017.3.15】パイプ

 一体、何のパイプなのだろうか。あとで友人にきいても分からないと言ったし、それについて述べられている日本語の資料もなかったから、これは後できちんと調べなくてはならなかった。
 ( 参考 : #1000.ベルリンの街中をはりめぐらされている「パイプ」の謎)

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 チェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)へとやってくる。ジャンダルメンマルクトから歩いて、10分ほどの距離だ。
 もともと、東西ベルリンの境界にある検問所の一つだった。

IMG_9569【2017.3.15】チェックポイント・チャーリー

 一度撤去された施設をもう一度、再現したものだという。
 アメリカの管理地域と、ソ連の管理地域との境界にあった検問所だ。写真の中にある顔写真は、かつて勤務していたというアメリカ兵で、東ベルリン側を向いている。

IMG_9574【2017.3.15】チェックポイント・チャーリー

 東ベルリン側から西ベルリン側へと抜けていく。

IMG_9578【2017.3.15】チェックポイント・チャーリー

 西ベルリンの方を向いているのは、これもまたかつて勤務していたというソ連兵の顔写真だ。
 それにしても、かつてはぴりぴりとしていたはずだが、今となっては、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンや、お土産屋さんなどが立ち並び、分断の歴史があったということがにわかに信じられない。

IMG_9576【2017.3.15】横断幕

 チェックポイント・チャーリーというソ連と関りのあるところに建つビルに、ロシアのウクライナに対する行いを糾弾する横断幕が懸かっている。「プーチンは、領土的野望を放棄し、ウクライナを自由にしろ」と言っている。

IMG_9579【2017.3.15】チェックポイント・チャーリーにて

 ここにあるお土産屋で、ベルリンの壁を買った。ベルリンの壁は、小さい欠片で3.5ユーロ(約455円)、大きい欠片で9.9ユーロ(約1290円)ほどで、記念品として買うことができる。西ベルリンをすっぽりと囲んだ壁は、高さ4m、全長155kmもある壁だったから、それ自体が非常に貴重なものだということはないが、とてもベルリンらしいお土産だと思う。東西分断の生の歴史を、持ち帰ることができるのだから。