地球の覗き方

地球のことをのぞいてみよう

カテゴリ:中国 > 陝西省

 兵馬俑を見終わった時点でもう、今回の旅行も終わったかのように感じていたが、まだ帰国という旅程が残されている。まず、お腹を満たしておこう。

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【2016.2.20】果物売り

 路上の果物売りから果物を買うことに挑戦する。1斤(中華人民共和国では500g)あたり、たったの10元(約175円)だという。器用に計って、売ってくれる。

IMG_4616【2016.2.20】苺

 その後、ファーストフード店で弁当などを食べる。弁当、いや、もともと弁当だとは思っていなかったのだが、きのこの定食が、弁当のような形で出てきた。

IMG_4617【2016.2.20】きのこ弁当

 西安の料理は最後の最後まで塩辛かったが、これはお米の量も多かったし、許容範囲のように思える。お弁当と、路上で買った苺を食べながら、西安旅行のしめくくりとする。
 西安咸陽国際空港へと向かうバスに乗る。路線名には、西安火車站線(西安駅線)とあるが厳密には西安駅を発着するものではない。

IMG_4618【2016.2.20】西安駅

 西安駅からやや離れた、地下鉄1号線の五路口駅近くにある西安隴海飯店というホテルの横の駐車場を発着するものである。西安市中心部を発着し、30分に1本以上の運行があるリムジンバスは2016年現在、この路線しかないようだ。
 運賃は25元で、ホテルのすぐ横についている売店で乗車券を購入する。約100人以上の乗客が待機していて、3台目の乗車となった。30分に1本との説明だったため、1時間以上待たなくてはならないかと思っていたが、実際のところ、15分に1本ずつくらいやってきたので、30分ほどしか待たずに出発した。
 IMG_4631【2016.2.20】バス

 バス内の掲示によると、この路線は離陸2時間半前にはバスに乗るようにしてくださいとのことだった。

IMG_4636【2016.2.20】車窓

 西安の城壁を出てから、城壁沿いに走っていく。

IMG_4638【2016.2.20】車窓

 さようなら、西安。

IMG_4643【2016.2.20】車窓

 城壁が見えなくなって、4泊に渡って滞在した西安と、本当に別れてしまったのだということを実感する。
 けれども西安はまた来る機会があるように思う。西安を起点として、西域へと向かう旅が僕を待ち受けている気がする。西安から、甘粛省、そして敦煌、新疆ウィグル自治区へと向かう旅が。また来よう。

IMG_4646【2016.2.20】西安咸陽国際空港

 発車から約55分で、空港に到着する。国内線ターミナルに到着したので、国際線ターミナルまで少しの間歩く。それにしても規模の大きい空港だ。さすが省都にある空港といったところか。中国にはこのような大きな空港がいくつあるのだろう。

IMG_4653【2016.2.20】西安咸陽国際空港

 大阪、関西国際空港行きの春秋航空の便はほとんどが団体客で個人客は少ないように思われた。そして、日本人はほとんどいなかった。

2016冬 湖北・陝西

 春秋航空9C8915便
  西安 午後10時15分発
  大阪 午前2時55分着

IMG_4657【2016.2.20】西安咸陽国際空港にて

 深夜の便だったためか、車内販売などもあまり積極的に行われず、終始、静かな便であった。春秋航空日本の国際線と違い、春秋航空国際線は預け荷物が15kgまで無料であるため便利である。また、機体も新しく清潔で、安心できる。しかし、機内での携帯電話やスマートフォンの利用は機内モードに設定していても厳禁となっている点は、春秋航空日本とまた異なる。
 航空機は西安から大阪までの最短ルートを通らず、韓国のソウル市上空を飛行するもので、かつて僕が住んでいたソウルの夜景を思いがけなく目にすることができて、嬉しいものだった。順調な飛行で予定より30分ほど早く、関西国際空港に着陸した。
 中国の古都西安から、日本の古都京都への玄関口、関西への飛行。ふたつの国の古都を結ぶフライトが無事終わるとともに、7泊にわたる僕も中国旅行も無事終わりを告げたのである。



 三号坑へと行く。こちらはこじんまりとしているが、始皇帝と少数精兵の兵隊たちが命令をくだす、参謀本部のような場所だったという。鹿などの動物の骨で、占いをおこなう部屋や…。

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【2016.2.20】三号坑にて

 少数精鋭の身分の高い兵隊たちが置かれている部屋がある。俑の数は、1号抗と比べるとずっと少ない。

IMG_4581【2016.2.20】三号坑にて

 これもまた、古代に中国に関する一流の史料なのである。

IMG_4585【2016.2.20】三号坑にて

 次に、二号抗へと行く。こちらに関しては、復元はまださほど進められていない。復元をしないところに関しては、風化して俑が痛むのを防ぐため、上に土を被せてあり、内部はみえないようになっている。

IMG_4590【2016.2.20】二号抗にて

 展示室がある。

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【2016.2.20】兵士俑

 今まで発見された兵馬俑は数千にものぼるが、この俑だけが唯一、完全な姿で発掘されたものだそうだ。

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【2016.2.20】兵士俑

 裏手に回ってみると、その靴に驚かされる。

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【2016.2.20】靴

 しっかりと滑り止めがほどこされている。紀元前3世紀にもこのような技術があったのか。靴というものは2000年を経ても、あまり進化していないのだろうか。
 青銅で作られた、馬車がある。

IMG_4603【2016.2.20】青銅の馬車

 実際に、始皇帝が乗っていたとされるものを青銅で忠実に再現したものとされ、2両が見つかっている。始皇帝の魂をあの世に運んでいくために作られたものだそうで、復元には1両あたり8年の年月がかかっているという。
 人が多くてゆっくりとは見ていられなかったんだけれども、馬たちの眼がほんとうに麗しくて、傑作だと思う。
 最後におみやげを買う。兵馬俑のミニチュアで、将軍俑、軍吏俑、立射俑、跪射俑、軍馬の5種類があるんだけれども、「軍吏俑」をチョイス。

兵馬俑・表

 店員の説明によれば、上の図、左の将軍俑が一番の人気で、偉い人になりたいとの願いをこめて買っていくそうだが、そういう願望は僕はあまりなかったから、頭がよくなることを願って「軍吏俑」を買った。100元(1750円)でやや高いのだが、これには理由がある。

兵馬俑・裏

 そのミニチュアは、復元の行程で構内から出てきた土を利用して作られたものだという。特別な粘土で、証明書付きなのである。この特別なミニチュアは兵馬俑構内でしか買えない。有料区域の外に出れば、同じような大きさのミニチュアを二束三文の値段で買えるが、せっかく兵馬俑までやってきたのだから、この特別なミニチュアを持ち帰り、時々、東京の自宅で観賞している。
 さあ、これで今回の旅行の全日程が終了した。あとは、空港へと向かって、日本へと帰るだけである。

■兵馬俑訪問記
#0169.華清池・兵馬俑への行き方
#0177
.兵馬俑訪問記 1
#0178.兵馬俑訪問記 2
#0179.兵馬俑訪問記 3



 皇帝を死後の世界でも守護するために、かつては人間をそのまま生き埋めにしていたが、秦の始皇帝はそうして屈強な男を地面に埋めてしまっては、国力や国の生産力が低下してしまうと危惧し、生前からこれを人形に換えることを考えた。秦の国中から選りすぐりの兵士たちを集め、彼らに似せた、等身大の兵士俑を職人たちに作らせた。
 秦の始皇帝は現実主義者だったのだろうか。死後の世界が怖くなかったのだろうか。あまり、迷信のようなものを信じなかったのだろうか。

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【2016.2.20】兵馬俑

 全ての俑が異なる風貌を持つ。表情も違う。
 それぞれの兵士は180cmを超えるものが多いという。多くの外国からの要人がこの地にやってきたが、たいていの人よりは背が高いという。紀元前に、身長が180をこえる大男がごまんといただなんて信じられないが、ガイドの説明によれば、等身大なんだという。
 髪型や衣服や靴なども忠実に作られているというから、紀元前の中国の風俗を知るのに最高の史料だろう。
 馬なんかもなかなかリアルに作られていて、そのお尻の曲線がまるで生きているようだと、ロシアのプーチン大統領は感嘆したそうだ。

IMG_4544【2016.2.20】俑

 崩れている俑もよくみれば、胴体などが丸ごと残っているものもあって、そういったものに関しては復元がはやく進むかもしれない。

IMG_4548【2016.2.20】俑

 ひとりひとり表情が違うけれども、全体的に目がしっかりと釣り上がっていて、怒り顔の人形が多いように思える。これが古代中国では、勇ましいとされた表情なんだろうか。

IMG_4549【2016.2.20】俑

 上の写真の右上あたりをみると、穴がある。あれは、発掘時にみつかった誰かの墓なんだとか。いつの時代のもので、誰のものかはよくわからないが、おそらくこの地域の農民のものなのではないかということだ。秦の始皇帝というどれだけ偉大な人物の墓も、時が経てば忘れされられ、一般の百姓の墓となってしまう。
 この墓を掘るときに、人形が出てきたりはしなかったのだろうか。実は、1970年代に井戸から人形の破片が見つかる前にも、この一体の地面にはそういうなんだか怪しいものが埋まってるだとかそうじゃないだとかいった噂はこの地域にあったという。しかし、あまり教養のなかった田舎の農民は、その意味にさほど関心を払っていなかったようだ。

IMG_4550【2016.2.20】俑

 兵士俑たちをよくみると、それが復元作業を経て直されたものだということが分かるようになっている。ちなみに過去には彩色もされていたというが、時間を経て、ほとんどが色あせてしまった。
 怒りっぽい表情の兵馬俑が多い中、穏やかな表情の兵士俑を見つける。

IMG_4560【2016.2.20】俑

 鎧を身につけているのをみるに、こちらの兵士たちは身分が高い。そう簡単に死なれては困る兵士たちなのだ。

IMG_4561【2016.2.20】俑

 ところで手の形もさまざまで、何かを持っていそうにみえる。かつては本物の武器を模した、木製の武器などが手に握られていたらしいが、木であったため残念ながら朽ちて無くなってしまった。青銅器として作られたものは、残ったようである。

IMG_4563【2016.2.20】俑

 ちょうど上の写真の右側の標識がある位置、井戸を掘り始めたところだそうだ。

IMG_4568【2016.2.20】復元中

 復元は目下、進められている。1970年代に2人だったか3人の作業員が手を組んで、兵士俑の頭を構外へと盗み出してしまう事件が発生したという。彼らは死刑になったそうだ。共産党、恐るべし!
 なお、冬季は復元作業を行っていない。

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【2016.2.20】復元作業

 3月になって暖かくなると、兵馬俑の復元作業をあわせて見学できるようになるそうだ。

IMG_4574【2016.2.20】復元中

 兵士俑にはいくつか、頭のないものがある。これらは、科学の力を駆使しても、技術の限界で復元が不可能だったものだそうだ。

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【2016.2.20】ビール腹

 ところで、兵士俑のお腹をみると、たるんでいる。昔、ふくやかな女性が美人扱いされたのと同様、お腹のたるんだメタボな男がかっこいい男で、わざわざベルトを緩ませて、お腹のふくらみをアピールしたりもしたらしい。昔はそもそも、太っていることは裕福であることの証明だったから、きっとそうなんだろう。今は、裕福でなくても太ることはできるから、時代は変わってしまったものだ。
 兵士たちは士気をあげるために、お米で作ったお酒を飲んだりもしたというから、小麦ではなくてお米ではあるけれども、ビール腹ともいえる。そうか、あれは、古代のビール腹なのだ。
 兵馬俑が立ち並ぶすがたもやはり圧巻だが、実際に来てみると、俑ひとつひとつのディテールにも目が行っていろいろな発見が多い。やって来た甲斐があったと思う。

■兵馬俑訪問記
#0169.華清池・兵馬俑への行き方
#0177
.兵馬俑訪問記 1
#0178.兵馬俑訪問記 2
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