地球の覗き方

地球のことをのぞいてみよう

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 2017年4月からタイで働き始めて、7か月目となる。その間で2回目の一時帰国だ。
 昼間はいつも30度を超えるような地域に住んでいるから、昼間にも14度までしか上がらない、秋の東京の気温におどろく。30度まで上がっても汗をかかないような、そういう体質になってしまったものだから、寒さには弱くなっているはずだった。

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【2017.11.12】駒沢公園にて

 バンコクははっきりとした「秋」を感じられる地域ではないから、秋らしい秋の景色がつい嬉しくなってしまう。

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 日本に住んでいてはおそらく、写真に収めなかったであろう秋の景色を撮る。

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 しかしその嬉しさもつかの間で、晩秋の物寂しさととってかわる。

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 こういう物寂しさは、バンコクにはないと思う。

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 秋の花は美しい。しかし、すぐに冷たい冬がやってきて枯れてしまう。そういう予感をまとっている。美しさは決して長く続くものではないのだ。

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 そういう「無常観」といったものを、バンコクで感じる機会はあまりないのではないだろうか。

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 東京と比較すれば、バンコクはいつも明るくて、楽観的なところだと思う。

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 気候が異なるところに住めば、経験する感情も異なる。

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 僕にとってはバンコクの方が、精神的に穏やかに暮らせると思う(笑)

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 日が暮れるのも早い。

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 赤色に、黄色に染まったケヤキの葉が散っていく。

IMG_5950【2017.11.12】駒沢公園にて

 晩秋に一時帰国をして、しばらく忘れていた感情がふとよみがえったのであった。


 有給を利用し、11月11日から19日までを9連休とした。

11月11日 中国東方航空MU548便 1:55 バンコク(スワンナプーム) → 7:05 上海(浦東) 
11月11日 中国東方航空MU523便 9:10 上海(浦東) → 12:50 東京(成田)
11月15日 四川航空3U8086便 20:30 東京(成田) → 0:50 成都
12797バーツ(約44800円)

11月20日 タイ・ライオン・エアSL8051便 03:55 成都 → 5:50 バンコク(ドンムアン)
3993バーツ(約14000円)

 という航空券を購入して、連休の前半に一時帰国をし、連休の後半に四川省を旅行するという計画を立てた。
 11月20日は午前5時50分にバンコクに到着してから、その日に出勤するというタフなスケジュールであった。

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 自宅周辺(プロンポン駅周辺)からスワンナプーム空港までタクシーを利用したが、ドライバーは高速道路の走行中にスマートフォンを利用するなど、危なっかしいものだった。遠回りをされたのか高速道路料金を含んで、390バーツ(約1365円)もかかってしまったし、不運だった。
 スワンナプーム空港はたくさんの旅行客で溢れていて、主に帰国する中国人観光客のせいで、チェックインを済ますのに50分もかかった。
 バンコクから上海までの区間は、中国東方航空傘下の上海航空によって運行される。機内は狭く、LCCと変わりがないが、機内食が配られるなどしてFSCとも変わりがない。

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【2017.11.11】中国東方航空

 バンコクからラオス上空、ベトナム上空を通過し、海南島上空、広州上空などを経由して、上海へと至る。

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 飛行時間は4時間と短いので、機内で睡眠をとるのは難しい。

IMG_5884【2017.11.11】機内にて

 夜が明けたころには、すでに、上海付近にさしかかっている。

IMG_5889【2017.11.11】上海郊外上空

 秋の水田が広がっている。

IMG_5891【2017.11.11】上海郊外上空

 タイにも季節がないわけではないが、明確な秋と言ったものはない。

IMG_5895【2017.11.11】上海郊外上空

 今年もどうやら「秋」を味わえそうで、よかった。

IMG_5898【2017.11.11】上海浦東空港にて

 上海浦東空港で乗り継ぎをする。
 トランジットカウンターで、トランジットの手続き(パスポートと搭乗券を提示の上、顔写真の撮影)を終え、荷物検査を済ませてから、成田へと向かう便を待つ。

IMG_5902【2017.11.11】上海浦東空港にて

 それにしても、寒い。
 風邪をひいてしまいそうだ。

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 次に、東京(成田)へ向けて飛び立つ。飛行時間は2時間40分ほどにしかならない。

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 隣に、おばあさんたちのグループが座っていたのだが、見た目は日本人のおばあさんにしか見えないのにも関わらず、流暢な中国語で話す。日本に馴染んでしまった華僑であろうかと思いつつ、見ていると、おばあさんのうちの一人が僕に日本語で話しかけてきて、会話が始まった。

 おばあさん : 「あなた、日本で留学しているの?」

 どうやら僕のことを、日本で勉強をしている中国人留学生だと判断したらしい。

 僕 : 「いいえ。中国人ではなくて、日本人です。バンコクで働いていて、東京に一時帰国ところなんです」
 おばあさん : 「ははあ。外国で働いているんだね。私の息子も、今、北京で働いている。もう40を過ぎるが。いつも、日本に帰りたいと言っている。空気が悪いから」

 話をしていると、彼らは上海に観光旅行に訪れた、中国残留孤児だということが分かった。
 30年前に、息子や夫など家族を連れて日本に帰国したという。中国から日本に戻れば生活が楽になると思っていたが、決してそうではなかったという。言語の問題など、日本の生活に適応するのは決して楽ではなかった。また、家族を養うに十分なお金を稼ぐには、中華料理店を開き、年中無休で働くくらいしか方法がなかったという。息子が独立して、自身も仕事を辞めてから、ようやく余裕が出てきて、以前はできなかった旅行などを楽しんでいるそうだ。なぜ旅行先が上海になったかというと、阪急交通社のツアーがただ安かったからだそうで(それも、日本国内の旅行よりも)、故郷の中国に懐かしみがあるだとか、そういった理由ではなかったらしい。そもそも遼寧省出身だから、上海なんてなじみが薄い。
 中国残留孤児の人たちと話したのは、これが初めてだった。

IMG_5905【2017.11.11】機内食

 機内食は、まずかった。
 上海を離陸してからはずっと海が続いていたが、しばらくすると、日本列島が見えてきた。

IMG_5907【2017.11.11】長崎県上空

 長崎県のあたりが見えてくる。
 8月半ばにも一時帰国をしていたから、日本に戻ってくるのは3か月ぶりにもならないのだが、それでもいつも、日本に戻ってくるというのは感慨があるものだ。

IMG_5910【2017.11.11】九十九里浜付近

 成田空港へと高度を落としていく。

IMG_5913【2017.11.11】成田空港付近

 着陸する。

IMG_5918【2017.11.11】成田空港にて

 秋晴れだ。

IMG_5920【2017.11.11】成田空港にて

 バンコクから東京へと戻る際、中国東方航空を利用するのは初めてだった。乗り継ぎの煩雑さは否めないけれども、手荷物を預ける場合、LCCであるエアアジアやScootよりもかえって安く上がったりするし、中国東方航空については、サービスについても客層についても良かったから、また、利用したいと思えた。


 京都にやってくるのは、2016年5月以来1年3か月ぶりだった。
 横浜駅から高速バスに乗り、京都駅八条口へと向かう。滋賀県内から京都府内にかけて、大雨による速度制限がかかっていたけれども、約7時間で到着することができた。
 しばらく強い雨に見舞われていたけれども、カフェで朝食を食べながら待っていると、雨はやみ、晴れ間が見えるようになった。

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【2017.8.18】京都駅

 10年も前の話になるが高校3年生の時は、東京に住みながら、かつては京都の大学に進学することも考えていた。

IMG_3746【2017.8.18】七条通

 しかし、それはただ「京都に住んでみたい」という気持ちが先立っていて、何を勉強するために京都に行きたいのかという点についてなんら説明ができていなかったから、東京をあえて出て京都に行くということについて、親や教師を説得させることはできなかった。

IMG_3749【2017.8.18】七条通

 心の中では当時、どうせ「大学で何を学びたいか」という意識がないのだから、それだったら、東京でも京都でも変わらないではないかという気持ちはあったのだけれども、親や教師に「東京にもいい大学がある」と言われれば、その考え方をのまざるを得なかった。

IMG_3751【2017.8.18】堀川通

 当時はなぜ、京都に憧れていたのだろう。

IMG_3753【2017.8.18】槿の花

 家族旅行や修学旅行、部活動の表彰式で訪れたことのある京都の街の雰囲気が好きだったということ、それは正しい。

IMG_3758【2017.8.18】京都市内にて

 東京のようなひどい通勤ラッシュはなさそうだったし、環境もよさそうだった。

IMG_3763【2017.8.18】無花果(いちじく)

 しかし、それよりももっと重要だったのが、家から離れて自由になりたい、そういう気持ちが強かった。

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 両親の目をうかがう、そういう癖があったから、東京にいたら、大学生活が不自由になるのではないかと思った。

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 京都は、そういう自由の受け皿としてよさそうだった。

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 いろいろな妄想ができた。

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 苦しい通勤電車ではなく、古都をかろやかに自転車で通学してみたい。

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 週末は、寺院に癒されに行きたい。

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 鴨川でデートもしてみたい。

IMG_3782【2017.8.18】鴨川

 そして、夜遅くに帰宅したからといって、誰にも何も思われない。

IMG_3784【2017.8.18】セブンイレブン

 アルバイトも自分のやってみたいことをやってみる。その職種について、何か、口を挟まれることもない。そういう自由が欲しくて、京都はそういう妄想の受け皿として、よかった。 
 しかし、親や教師のいう言葉を「絶対的なもの」として飲みこみがちだった僕は、当時、その妄想を現実のものに変えていくことはできなかった。妄想はあくまでも、妄想のままだった。 
今も京都にやって来ると、そういうことを考えていた高校時代のことを思い出す。
 それから4年が経ち、大学4年生になると「次こそは」という気持ちを自然と抱くようになった。当時の妄想の対象は、韓国・ソウルだった。韓国へ留学をすることを考えた。それについては周囲の人がみな積極的支持を示したわけではなく、「突飛な考え」と思われることも少なくなかったのだが、東京にいて東日本大震災を経験し、「願望を心の中に秘めたまま死んでは、人生とは一体何なのか」という思いを強く、結局、実現させたのだった。韓国での生活は、決してたやすくはなかったけれども、人の縁に恵まれて、とてもよい経験をすることができた。
 思えば僕は、自分の将来のことを考える時、都市のイメージを借りて考えることが多い。そう思う。


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