地球の覗き方

地球のことをのぞいてみよう

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 タイに到着したものの、まだタイの友人はさほど多くはない。韓国に留学中に知り合ったタイ人とその家族、それから日本にいる時に知り合ったタイ人がいるから、全くいないというほどではないけれども、それでも友人は、あまりいない。
 韓国では留学で行ったから、現地の学生と知り合う機会は必然的に多かったけれども、今回は主に働くために来ているからどうだろう。タイ人の知り合いをそう簡単には、作れそうもない。まだタイ語がよく分からないから、もっともである。

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【2017.4.19】花

 4月中旬には、美しい花が咲いていた。遠くから見ると、日本の桜と見まがうような、そういう色彩である。近づいてみると、桜とは全く違うんだけれども、桜がちょうど散り始めた東京を、飛行機に乗ってやってきたから、なんだか桜を思い出してしまう。しかしこの花の名前が何なのか、気軽に尋ねられるタイの友人はまだいない。僕がこの国に馴染むことができるのだろうか。それはまだ、未知数である。
 なおこの花は、それから数日の間に全て散ってしまった。

IMG_2042【2017.4.19】アソーク駅周辺

 それでもすぐ、知り合いのつてで日本語とタイ語、韓国語とタイ語のランゲージエクスチェンジ(言語交換)の相手を見つけることはできた。言語交換とは、互いの言語を教え合うということ。つまり、日本語とタイ語であれば、日本語を教え、タイ語を教わる。韓国語とタイ語であれば、韓国語を教え、タイ語を教わるのである。
 アソーク(อโศก)駅前にあるターミナル21という商業施設で、言語交換の相手と昼食をとる。

IMG_2038【2017.4.19】ターミナル21にて

 パッタイは、露店であれば一皿50バーツ(約160円)、60バーツ(約190円)といった値段で食べられるものの、こういった商業施設の景色のよいレストランで食べれば200バーツ(約640円)だとか300バーツ(960円)といった値段はする。

IMG_2031【2017.4.19】ターミナル21にて

 味は露店のものと比べて、さほど大差はないが、商業施設内であれば、店内に冷房はきいているし、お皿に綺麗に盛り付けられているから、なんとなくラグジュアリーな感じはする。
 パッタイの盛りつけられた皿の左端に、扇のような形で盛り付けられたクリーム色のものがある。それはやや、渋みをともなった味だった。これは何かときくと、バナナの花だそうである。 このようにタイの知り合いが増えていって、タイについて知ることが少しずつ増えていけばいいと思う。


 39度近い発熱状態でバンコクに到着し、アパートの契約書にサインしてから、水だけを買って、アパートの一室に入り、眠りに入ったのが午前8時頃だっただろうか。それから、何時間が経っただろう。夕方の、4時過ぎに起床する。だいぶ、発熱は収まっていた。
 ふと、階下から日本語の甲高い声が聞こえた。「きゃはは」だとか「やめてー」だとか、聞こえてきた。タイで、まさかの日本語の叫び声を聞くとは。これだけはっきりと聞こえるのだ。熱も下がっているのだ。幻聴ではあるまいと思いと、ベランダから階下を覗きこむと、人々が水鉄砲やバケツで水をかけあっていた。

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【2017.4.14】ソンクラーン

 4月13日から15日はタイでは新年のお祭りにあたる、ソンクラーンであり、水をかけあうという習慣がある。この日だけは無礼講で、通りかかる車両や、見知らぬ通行人に水をかけてもよいのだ。
 バンコクのスクンビット界隈には、日本人の駐在員とその家族がおおく住んでいて、彼らも、タイ人のように、いや、タイ人よりも熱心に水をかけあう。見知らぬ通行人に水をかぶせてもよい。そういうことは、日本ではできないから、タイにやってくるとタガが外れるのだろう(笑)思ったより日本人も、タイに馴染んでいて、微笑ましい光景である。
 体温計で体温を計ると37.0度前後に落ち着いていた。12時間前まで39度近いが出ていたはずなのに、案外、何とかなるものである。熱が病み上がりの体だったが、せめて人と連絡だけはできるよう、携帯電話のSIMカードを確保しておきたかったから、外出することにした。
 街を歩いていると、案の定、僕も水をかけられた。特にひどかったのが、タイ人女性二人組だったのだが、バケツに汲んだ水をもってきて、僕の前後から近づき「Happy new year khaa!!」といいながら、僕の胸から下を全部、冷水でずぶ濡れにする、そういうことをした人たちだった。病み上がりの体であるにも関わらず、出発地東京とは大きな気温の差があるバンコクで、冷水でずぶ濡れにされる。タイ生活の第一の試練である(笑)しかし、なんだか、愉快だった。もう、どうとでもなれ。
 ずぶ濡れの体のまま、地下鉄に乗る。たくさんの人が濡れていて、地下鉄自体が濡れているから、濡れているからといって迷惑にはならない。しかし、濡れた体を冷房で冷やされて、体調をまた崩すのではないかと不安になった。地下鉄にはたくさんの、水鉄砲を手にした特攻部隊がいた。

IMG_2011【2017.4.14】広場にて

 噴水があるようなところでは、水鉄砲部隊が水を補充する。

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 やはり、何度も水鉄砲で濡らされた。若いからだろうか、それとも、怒りそうもない温和な人間に見えるのだろうか、たくさん水をかけられた。(水をかけられて怒るタイ人というのも少なくなくて、よく喧嘩は起こるから、あの人にはかけても問題なさそうだとか、あの人は避けるべきだとかいったたぐいの「空気の読み方」をタイ人は幼少時から、ソンクラーンを通して学ぶという)
 携帯電話を防水用のビニール袋に入れていなかったからはらはらしたが、結局、荷物を積極的に濡らそうという悪質な人に出くわさなかったのは幸いだった。 
 買い物を終え、食事をし、家に帰るとすでに夜になっていた。 夜、体温を計ると、37.5度ほどにぶり返してはいたものの、また夜、しっかり寝て、朝起きると、喉はまだ痛かったけれども、ほぼ平熱に戻っていた。いよいよタイ生活が始まるのだと気を引き締めれば、39度の発熱も1日で治るものなのだと思った。


 2017年4月13日。ついに東京を離れ、バンコクへと向かう日がやってきた。2012年3月26日からの韓国・ソウル生活に次ぐ、第二の海外生活が幕を開けるのである。
 3月下旬頃には「早くタイに行ってしまいたい」と思っていたのだけれども、4月になって桜が満開になり、東京を離れるからと毎日のように友人・知人に会っていると、なんだか名残惜しくなってしまった。しかし、もう決めたことだから、後戻りはしない。東京から飛行機に乗れば、6時間と少しで到着してしまうところだ。夜行バスで東京から大阪へ向かうのと変わらないか、それよりも短いではないか。ただ、隣町に移るだけなのだ。何も、永遠の別れではないのだと自分に言い聞かせた。
 バンコクへと向かう航空券は、17500マイルで交換したJALの特典航空券だ。4月13日から4月15日にかけてがタイでソンクラーンという新年の休日にあたるため旅行客が多いためか、いずれの航空会社を利用しても安い価格の航空券が手に入りそうにもなかったから、マイレージと交換することができたのは幸運だった。また、一般的に片道航空券は往復航空券よりも高くなるが、マイレージと交換すると片道航空券は往復航空券のちょうど半分のマイレージで手に入れられることから、それも都合がよかった。

領収書

 しかし、燃油価格の上昇のため、マイレージのほかに、燃油サーチャージを別途5010円分、支払わなくてはならなかったため、それはなんだか、損をしたような感じがした。
 なお特典航空券を予約しようとした時には、東京(羽田)およびバンコクの直行便はすでに予約がいっぱいに入っていて、羽田空港から国内線で関西国際空港へと向かい、そこからバンコクへと乗り継ぐ経由便を利用することになった。

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 ところで出発する日になって、高熱が出てしまった。出発する二日前に、4月であるにも関わらず、昼間の気温が8度ほどで雨が降るという、そういう天気の日があって、体調を崩していた。それでも、喉が痛むくらいだから大丈夫だろうと思っていたのだが、それが単なる風邪のひき始めでしかなく、13日になってから38.4度の高熱がでるようになった。
 しかし、もう航空券の日付は変えられなかったし、4月17日からはバンコクで仕事を始めなくてはならなかったから、体温計と解熱剤をもって強引に空港へと向かった。20kg以上の荷物を体に身につけて移動することは、容易ではなかった。それでも、羽田空港にたどりついて、関西空港行きの国内線の搭乗することができた。

 4月13日 日本航空JL229便 羽田 21:05 → 関西 22:20
 4月14日 日本航空JL727便 関西 0:45 → バンコク(スワンナプーム) 4:40

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 あまりにも体調が悪かったため、何も考えられなかった。東京を離れるということに対して、何も考えられなかったことは、むしろ、よかったと思う。余計な感情の波に、揉まれたくはなかった。

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 関西空港に無事に到着し、ピカチュウと記念撮影をする。
 しかし、これだけの高熱が出ているのに、いくらマスクをしているとはいえ密閉空間である航空機に搭乗してもよいものなのだろうか。周囲の人には本当に、申し訳ないことをしたと思う。

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【2017.4.13】関西国際空港にて

 解熱剤を飲んでいたにも関わらず、体温計で体温を計ったら、依然として38度を超えていた。

IMG_1984【2017.4.13】すき家

 それでも何も食べなければ、解熱剤も飲めないから、関西国際空港内の24時間営業のすき家でお腹をみたし、解熱剤を飲んだ。
 それから、バンコク行きの航空機に乗りこむ。

IMG_1985【2017.4.13】関西国際空港にて

 機材がボーイング787で、機内の湿度が25%ほどと従来の航空機よりもずっと湿度が高く保たれていたから、これは病の身には幸いだった。一般の航空機だったら、機内の湿度は10%ほどにしかならないというから、ボーイング787でなかったら、病の症状はより深刻になっていたに違いない。
 バンコク到着前、機内で体温計で体温を計ったら、38.9度まで上がっていた。もしかしたら空港の検疫所で、入国を阻止されるのではないかという懸念もあったが、幸い、早朝に到着したためか、サーモグラフィ―で入国者の体温をチェックしている検疫官はいなかった。伝染病が疑われる人物を入国させず安全が確認されるまで、隔離するということは一般的に、多くの国でおこなわれている。

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 それにしてもバンコクは蒸し暑い。気温が10度前後のところから、気温が30度近くなるところへといきなり放り出されたため、体がどうにかなりそうだったが、気力で耐えるしかなかった。
 空港で、これから働くことになる会社のボスと落ち合い、バンコク市内へと自動車で移動し、会社の方で目星をつけておいてくれた物件の賃貸契約書にサインをし、保証金となる家賃2か月分の現金と4月14日から4月30日までの家賃を支払い、部屋へと入った。日本から、薄い布団を持ってきておいたのは幸いだった。物件にはベッドが備え付けてある。冷房をつけ、ベッドに横たわり布団にくるまって、爆睡した。
 とんでもないバンコク生活の始まりだった。 


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