地球の覗き方

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カテゴリ: フランス

 PER B線で、シャルルドゴール空港に到着する。

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【2016.11.28】シャルルドゴール国際空港鉄道駅

 パリから東京へは、アシアナ航空を利用し、ソウル経由で向かう予定だった。

 購入時のe-ticketには、
 
 2016年11月28日 アシアナ航空OZ502便 パリ 19:00 → ソウル(仁川) 13:50 (+1)
 2016年11月29日 アシアナ航空OZ106便 ソウル(仁川) 15:10 → 東京(成田) 17:20 (+1)

 とあり、仁川空港で1時間20分の乗り継ぎ時間を経て、成田空港へと向かう便に搭乗する予定だった。しかし、搭乗から1ヶ月以上前の10月20日に、次のような連絡があった。
 
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 アシアナ航空から出発時間の変更に関してご案内いたします。
 2016年11月28日の、パリ発、仁川行きのOZ502便の出発時間が、航空機の計画整備により19時00分から20時45分に変更されました。ご不便をおかけし申し訳ございません。


 パリにさらに1時間45分、長く滞在できるわけだから、悪くはないと思い、さほど気に留めていなかった。しかし、復路の便に搭乗する前日にe-ticketを再確認してみたところ、問題があることに気が付いた。

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 新しく発行されたe-ticketでは、復路の便が以下のようになっていた。

 2016年11月28日 アシアナ航空OZ502便 パリ 20:45 → ソウル(仁川) 15:35 (+1)
 2016年11月29日 アシアナ航空OZ106便 ソウル(仁川) 15:10 → 東京(成田) 17:20 (+1)

 午後3時35分に仁川空港に到着するというのに、どう、午後3時10分に仁川空港に出発する航空機に乗り継げというのか。乗り継ぎ時間が「マイナス25分」となっている。どうやら、アシアナ航空の職員は、後続便を遅らすことを忘れていたようだった。
 アシアナ航空のカウンターの、アシアナ航空の職員からは、仁川空港に到着後、以下の便に振り替えることを提案された。

2016年11月29日 アシアナ航空OZ105便 ソウル(仁川) 18:50 → 東京(成田) 21:30

 つまり、仁川空港で3時間15分待機してから、成田空港へと向かうというものだった。しかし、成田空港に午後9時半に到着するということが、危うかった。航空機が少しでも遅延した場合、自宅へと向かう終電を逃してしまう可能性がある。
 アシアナ航空の職員に韓国語でそう伝えると、自宅はどちらかとたずねられる。住所と、それが成田空港から2時間半を要するところにあることを伝えると、アシアナ航空職員はこういった。

アシアナ航空職員「では、現在、隣でチェックインをおこなっているANAの羽田行きの便に搭乗できるよう、調整をおこないます。しばらくお待ちください」

IMG_0408【2016.11.28】ANAのカウンター

 ゆ、有能すぎる!
 しばらく待っていると、パリから羽田空港へと向かう、直行便の搭乗券が発行された。

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 僕「直行便で帰れるとは、とても嬉しいです!」
 アシアナ航空職員「これからも、アシアナ航空をご愛顧くださいませ」
 僕「はい、もちろんです!こういうことはよく起こるものなのでしょうか」
 アシアナ航空職員「飛行機の整備遅延自体は時々起こります。それは特に夏季に多いのですが、振り替えるとなると自社便に振り替えることが多く、同じアライアンスとはいえ、他社の直行便に振り替えるということはあまり起こりません。もう大丈夫です。ご安心ください。航空機の遅延は我々、航空会社にとっては、いいこととは言えませんが、お客様に予想もしない幸運をもたらすことはあると言えるでしょう」

 ありがとう、アシアナ航空!これからも、愛顧することにしようではないか!
 しかし、搭乗時間が45分早まったため、搭乗の時間まであまり時間が無かった。ファストパスという、保安検査を優先的にうけることのできる特別レーンを通過できるパスを受け取り、急いで出国手続きを済ませ、保安検査を受け、搭乗口へと向かった。

IMG_0413【2016.11.28】搭乗口へと向かう

 羽田空港への直行便で帰れるから、とても、楽な旅程になる。 シャルルドゴール空港の非効率的な動線も、思いがけない幸運によって、苦ではなかった(笑)
 往復56400円で購入したアシアナ航空のソウル経由の往復航空券の復路が、羽田行きの直行便へと化けてしまったのだ。しかも後に確認したところ、この区間に4335マイルがついていたのだった。これは、非常にラッキーなハプニングだった。


 空港へと向かう、PER B線の駅を探して歩く。

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【2016.11.28】パリ市内にて

 重い荷物を片手に引きながら、歩いていく。

IMG_0370【2016.11.28】パリ市内にて

  地図からしてさほど遠くはなかったけれども、どこもかしこも似たような景色が広がっていて時に、分かりにくい。

IMG_0374【2016.11.28】パリ市内にて

 こういう何気ない空き地にもこうやって、植栽があって、小さな公園として命が吹き込まれているパリ。

IMG_0377【2016.11.28】パリ市内にて

 都市全体の管理がよく、行き届いている、そういうところだ。

IMG_0379【2016.11.28】換気口

 地下空間との換気口の周囲にも植栽を植えている。

IMG_0386【2016.11.28】パリ市内にて

 もう少し歩けば、PER B線の駅があるはずだが。

IMG_0388【2016.11.28】落書きのあと

 落書きの痕跡に色を付けて、ひとつの絵のように装っている。
 歩いていると、ある高齢の女性にフランス語で話しかけられた。フランス語が分からなかったから、英語で問い返した。

 女性「どこか、お探しですか」
 僕「空港に行くのですが、鉄道の駅はどこにありますか」
 女性「私に、ついてきなさい。大きな荷物があるから、エレベーター(lift)があるところを教えてあげるわ」

 エレベーターを「lift」と言っているから、きちんとしたイギリス英語なのだろうか。

 女性「旅行中?どこからいらしゃったの」
 僕「日本です」
 女性「あらっ。私、ピアニストでね、昨日、コンサートを開いたんだけれども、日本のお友達も来たわ」
 僕「全世界に、たくさんの友人がいらっしゃるんですね」
 女性「Perhaps... でも、北朝鮮は会ったことないの」

 声をたてて笑う。彼女のユーモアセンスが冴える。

 僕「僕、日本で翻訳や通訳の仕事をしていて、日本語と韓国語に関する仕事なんです」
 女性「日本語と、英語と、韓国語ができるのね。それは、宝よ」
 僕「おばあさんは、何の言葉を話せますか」
 女性「スペイン語、フランス語、英語、ポルトガル語…。それから、若干のロシア語。若いころ、アルゼンチンからパリに移住したのよ」

 おばあさんの方がずっと、多言語の使い手だった。
 歩いていると、乞食がいて、金をくれとねだってくる。

 女性「何も渡してはだめ。最近のヨーロッパはいつもこうなの。東から来た人たちは、毅然と無視できないのよね。それで、日本人や中国人はスリにもやられる。私も怖いから、不用意に知らない人には近づかない」
 僕「でもあなたは、東洋人の僕に自ら、話しかけてきたじゃないですか。まあ、僕は悪い人じゃないからよかったけれども(笑)」
 女性「そうね。私、いろいろな人と話すのが好きなのよ」
 僕「パリは好きですか」
 女性「うーん。好きと言えば好き」

 そう歩いているとエレベーターのところについた。おばあさんがエレベーターのボタンを押して、エレベーターを開けた。

 僕「わざわざ案内してくださって、ありがとうございます」
 女性「銀行に立ち寄るところだったから大丈夫。それから家に戻る。ピアノのレッスンを受けに、学生が来るのよ」
 僕「ところで、年はおいくつですか」
 女性「92」

 握手を交わして別れた。パリは忙しい都市だから、地下鉄の駅の前でゆっくりと握手を交わしているのはなんだか、パリという都市のスピードにはミスマッチだった。
 彼女にはこれからも健康で、元気でいてほしい。足どりがしっかりしていたから、まさか90代だとは思わなかった。

IMG_0392【2016.11.28】車窓

 パリでも、そういうことが起こるのかと思った。グローバリゼーションが進行し、多人種、多民族社会になったが、それがゆえの相互不信を克服できず、見ず知らずの人に親切に振る舞うことに躊躇する、そういうところとばかり思っていたから、これはよい裏切りだった。

IMG_0398【2016.11.28】車窓

 最後の最後で、パリを好きにさせてくれた、92歳の淑女。もう少し、パリにとどまっていたかった。


 パリ植物園を出る。

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【2016.11.28】パリ市内にて

 なんだろう。植物が生い茂っている家がある。

IMG_0335【2016.11.28】パリ植物園の裏口

 アジア系の高校生くらいの男の子に、フランス語で話しかけられる。その状況と、ジェスチャーから判断して、「煙草の火を貸してくれないか」といったポーズだったが、残念ながら、非喫煙者だからライターなど持っていないから、「持っていない」と英語で答えた。

IMG_0337【2016.11.28】パリ市内にて

  ところで、なぜ、わざわざ僕に話しかけるんだろう。やはり、アジア系の人は、アジア系の人に話しかけやすいのだろうか。これまでパリで見知らぬ人に話しかけられた経験は、詐欺集団を除くと、他にも一回あって、ある夜、地下鉄の駅付近で僕に対して英語で「パリの地下鉄の終電は何時か」と質問をしたものだったが、この男性もアジア系の人間だった。人間はみな平等だ、人種差別はよくないだとは言うけれども、安心して話せる相手というのは同じ人種同士であるということは、認めざるを得ないのだろうか。またその事実の延長には、他の人種に対する不信だとか、相互理解の拒絶といった問題が存在しているのだろうかと、ふと思う。

IMG_0344【2016.11.28】タイル画

 パリ市内でよく見ることのできる、可愛らしいタイル画ともこの日をもってお別れである。

IMG_0348【2016.11.28】タイル画

 パリ市内を東京へとむけてと去る前に、最後の食事をすることにした。ムフタール通り(Rue Mouffetard)にやってくる。ここに安いクレープ屋があることは、以前、ムフタール通りを訪れた時に見ていたのだ。(
#0660.パリに住むならムフタール通り(Rue Mouffetard)に住みたい)
 クレープと、飲み物のセットがたったの5.5ユーロ(約660円)なのだ。

IMG_0350【2016.11.28】調理中のクレープ

 店主の男性は、英語が話せた。よく人は「フランス人は英語が話せない」と言うけれども、パリに関していえば、大体の人が最低限は話す。少なくとも日本人よりはずっとできる。もちろん、フランス語と英語は文字が同じであるし、発音が異なるとはいえ多くの単語を共有しているから、英語の習得に、日本人ほどの努力は必要ないはずだが。

IMG_0352【2016.11.28】クレープ

 写真を撮っていいかときくと、応じてくれた。

IMG_0355【2016.11.28】クレープ

 これが、飲み物とのセット価格が5.5ユーロのクレープである。

IMG_0356【2016.11.28】クレープ

 素朴な味がして、おいしい。もちろん、以前食べた、9.9ユーロ(約1190円)のクレープ
(#0630.パリで10ユーロ未満でクレープのランチ!)ほど、洗練された味ではない。少し、塩辛くもあるが、こういう素朴な味の方が心が落ちつく時もある。
 マッシュルームのクレープを食べていると、もう一つのクレープを持ってきてくれた。

IMG_0360【2016.11.28】ヌテラのクレープ

 ヌテラのクリームの挟まったクレープで、冷めないようにと銀紙に包んでくれた。このセットは、食事としてのクレープと、食後のクレープの二つのクレープと飲み物のセットで、5.5ユーロだったのである。

IMG_0365【2016.11.28】ヌテラのクレープ

 個人的にはこの「食後のクレープ」が、マッシュルームのクレープよりもおいしかった。

IMG_0366【2016.11.28】クレープ屋

 パリでも、5.5ユーロの外食でお腹を満たすことができるということを、旅行の最後に知ることができた。これは、思いがけない発見であった。
 こうして、パリでの最後の食事を終え、荷物をひいて空港へと向かうのだった。

■Kantina
 住所 :  26 rue Mouffetard


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